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「批判するならお前がやれ」の真実を知ってほしい

「批判するならお前がやれ」は、確かに論点のすり替えである。
この言葉のおかしさは、たとえば「政治家批判するならお前が政治やれ」という言葉を考えてみればわかると思う。
しかし、私はこの言葉を言いたくなる気持ちというのも十分に理解できる。
そこでちょっと、この言葉を正当化することに挑戦してみようと思う。

結論から言えば、「批判するならお前がやれ」という言葉は、「とある物凄く長い反論」を「省略」したものである。
言ってみれば、擁護する側の「横着」なのだが、ネット、特にこの言葉がよく発せられる動画サイトなどではそれほど長い反論をしていられる余裕は無い。
論点のすり替えではない正しい反論は確かにあるのだが、到底それをいえないので、仕方なく使われる代替手段、それが「じゃあお前がやってみろ」という論点のすり替えなのである。しかもこれがあながち単純な論点のすり替えともいえない。

最初に出した政治家の例で考えてみる。
現与党に対し、あるAさんという人物が

「もっと子供手当とか配って、保育園もじゃんじゃん国が補助すればいいのに。それから、公害対策にももっと予算まわして、エコカーにも補助金出してほしい。それと税金高いから今の半分に減らして」

と言ったとしよう。
あなたが反論する立場なら、何と答えようか?

「そんな金があるわけないだろ。税金減らしたら余計予算足りないだろ」

と、言うのが正当な反論である。
では、そう言ったあなたに対して、さらにAさんがこう追撃する。

「そんなのどこかから捻出すればいいじゃない。国会議員と官僚を減らして、残った人も給料減らして、あとどうでもいい道路整備なんか全部やめればいいでしょう」

これはかなり反論が難しい。Aさんの主張はある意味筋が通っている部分も無いではないが、絶対に実現不能なはずだ。これにも正当に反論するなら次のようになるだろうか。

「今の議員や官僚の人数はギリギリではないかもしれないが、それでも省庁を正常に機能さえるだけの必要な人数というのがある。また、決して楽な仕事というわけではないのに給料を下げては、なろうという人がいなくなる。さらに、その法案を通すかどうかを決めるのは他ならぬ国会議員だが、自分の給料を下げることに賛成させるのは簡単ではない。道路整備も定期的にしなければすぐに道路が駄目になるだろう」

この適当な例ですらすごい考えて書いた。さらに正確に反論するためには、客観的なデータも必要になってくるだろう。
それでも、まだ色々と追撃される可能性はある。基本的に擁護に比べて、批判するだけの方が楽なのだ。
もはやこの調子で正当な反論などやってられない。普通の人間はすぐにさじを投げるだろう。そんな時、彼らが言い残す台詞は何か。

「じゃあお前がやれ」

今の例は極端化していて、わかりやすかった。
次はもう少しありがちな例を出してみる。
とある動画サイトにアップロードされた、自作オリジナル曲に対して、
「音量小さいな、もう少し大きくしろ」
という批判がついたとする。
さらに次の曲には、「音量上がってないぞ、なんで改善しないんだ」とか言われたとする。
これ、DTM初心者には本当にあるあるで、作者のほうは大抵の場合、精一杯音量を上げた結果なのだ。
少し専門的な話をすると、デジタル音楽には、「出せる音量の限界」というものが最初から定まっている。インディーズもプロも、動画サイトの曲も、全てその一定の音量以内で作られている。
ではなぜアマとプロの間で明らかに音量の差が感じられるかと言えば、その「最大音量」をどれだけ維持できているか、という違いがあるからだ。
音は波である。一瞬の波の中でも、大きく振動する瞬間と、小さく振動する瞬間がある。これを常に最大に振動するようにすれば音量が大きく感じられる。これを俗に「音圧」などと呼ぶ。音の詰まり具合、といったイメージだ。
この音圧を上げるのはそれなりの専門性を必要とする。各楽器の音を調整し、コンプレッサーというエフェクトで音を均等に押しつぶす作業、リミッターというエフェクトで一定以上の音を強引に打ち切る作業などがあり、それもうまくやらないと音がつぶれまくって音楽が壊れる。
さらには、その「最大音量」を高音域、中音域、低音域にうまく割り振らないと音圧が高くても大きく聞こえないということもあり、イコライジングの技術も必要となる。
ここまでが、少し専門的な話だ。
さて、最初に「音量小さいな」と批判した人物は、この辺の内容を知った上でコメントしたのだろうか。
とてもそうとは思えない。知っているなら「音圧」をいう単語を使いそうなものだし、二回目の動画で上がっていなければ、音圧の上げ方を知らないのだろうと推測するはずだ。
おそらくこの人は、「音量は上げれば上がるもの」と簡単に思っているだろう。
では、あなたがその曲を擁護してあげたい立場になった時、この人の批判には、なんと答えればよいだろう。
「そう簡単には音量は上げられないんだよ」
とでも軽く書こうか。そうしたら一週間後、こんな書き込みがあるとする。
「プロとか有名なボカロ曲はもっと音量大きいんだから上げられるはずだろ、嘘言うな」
さあ、これに対する正当な反論としては、「音圧は簡単には上げられない」ことを論理立てて説明してあげればよい。
しかしそれには最低でも、今私が上でしたような説明を繰り広げないといけない。これを動画の画面いっぱいに書き込む?冗談ではない。
妥当な反論をすることに多大な苦労を感じ取ったとき、普通の人が何と書き込むか。

「1回自分でやってみればわかるよ」

そう、この台詞は、「相手が批判している物事についての基本的な部分をわかっていない時」に発動する。
「お前は何も知らないくせに、偉そうに改善策を語るな。自分で一度やってみれば、その改善策がそれなりに難しいことがわかるだろう。それくらいが判断できる程度に中身を把握してから初めて批判を言え」
という長~いうらみつらみが、この一文に詰まっているのだ。
上の台詞は、だいぶ感情的ではあるが、単純に論点のすり替えとも言いにくい。
いや、本来はちゃんと「その改善策が事実上不可能なこと」を理由とセットで説明して初めて、正当な反論と言えるので、上の台詞はやっぱり論点のすり替えかも知れない。しかし、大概の場合、基本的な内容からわかっていない相手に対してそこまでを説明しようと思うと、ブログの1ページや2ページじゃ済まないレベルになってくる。
それを最も手っ取り早く実感してもらえる方法が、「実際にやらせる」ことなのだ。
「お前がやれ」という擁護をする人の一部は、単に反論をはねつけているのではなく、実際に、「本当にやってみてくれよ頼むから」と思っている。
「やってみてくれたら、簡単に説明できるのに」と。
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