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なろうについて語る②好きなキャラについて

なろう小説のキャラについて語る。


以前、キャラクターのトリレンマの記事を書いた後で色々考えたのだが、やっぱり私はキャラクターには人間性を求めたいタイプの読み手みたいだ。
というのも、私がラノベヒロインのどういうところを好きになるかと言えば、ロリっぽさでも従順さでも貧乳でも青髪でもツインテールでもなく(これ全部実際に複数の友人たちから言われた言葉なのだが)、「主人公への信頼」をどれだけ感じるかということなのである。
ヒロインだけでもない。男キャラ、特に友人ポジションに対しての私の中での好感度も、主人公をどれだけ心から信頼しているかで決まっている。
そしてこれが一番大切なことなのだが、それは、「人間」でなければ出せない魅力なのだ。


具体的になろう小説のキャラで話をする。
私が最初に読んだなろう小説は「異世界迷宮で奴隷ハーレムを」だったという話を前回した。
この作品で「なろう」にハマることができたのは、実は、とあるキャラを好きになれたことが大きい。
隠すほどのことでも無いので言ってしまうと、そのキャラとは第二のヒロイン、セリーのことだ。
実は、第一のヒロインであるロクサーヌに対して、私はほとんど好感を抱いていない。
ロクサーヌは常に主人公に対して従順であり、ダンジョンでは常に先頭を進んで魔物の気配を察知し、バトルでは獅子奮迅の働きを挙げる。何かあればすぐに「さすがはご主人様です」と言う。主人公の性欲にも寛容で、そういう行為も喜んで受け入れる。あと巨乳である。
絵に描いたような素晴らしいヒロインだ。
だからこそ、私はロクサーヌが「絵に描いたヒロイン」以上には見えない。
主人公が何を言ってもただ粛々とそれに従うロボットであり、主人公のことが好きという設定を貼り付けられた人形、あるいはプロフィール帳、記号の塊である。
正直言って、それは作品タイトル通りの「奴隷」でしかない。
これなら、実はずっと主人公を欺いていて、おだて上げ、隙を見せる機会を狙っている、と言われたほうが幾分自然だ。そのほうがずっとずっと好感度が上がる。

一方セリーは、それほど主人公に従順というわけではない。
何事も自分の頭で考え行動し、主人公の言動に疑問は抱くし、態度もぎこちない。怯えるし、いじけることもある。性的な行為も嫌がってはいないが、歓迎しているわけでもない。
はっきり言えば、特段主人公に好意を抱いている様子が描かれない
ひとつの例として、この作品世界では、主人が死んだ時の奴隷の処遇を主人の「遺言」という形決められる。
ロクサーヌは自ら志願して、主人公が死んだ場合は後を追って死ぬという遺言を選んだ。

「ご主人様をお守りするのが私の役目です。何があっても、身を挺してでもご主人様をお守りしなければなりません。だから解放される理由はないのです。ご主人様が亡くなられるときは私の任務が失敗したときです。後を追うのも当然です。それに、ご主人様のいない世界で生きていたいとも思いません」


これに対しセリーは、遺言を自分で決めて良いと言われて、その場合は自分を解放してもらえるよう頼んだ。

「奴隷を相続させるようなおかたはおられないのですよね」
「いないな」
「そうですね。それでは、私に対する遺言は解放することにしていただきたいと思います」


この反応の差。これだけで、二人の主人公に対する想いの差が伝わってくるようだ。
この時点ではそう思えなくもない。

それでも私はセリーのほうに好感を持った。
なぜか。セリーのほうが圧倒的に、主人公を「信頼」しているからだ。
それは、主人公が魔物の攻撃で毒を負った場面に象徴されている。

 脳天にまで直撃する激震を耐える。それでも戦慄はとまらない。頭はボーっとして、熱にでも浮かされたような感じだ。 
「××」
 セリーが目の前に来て何か言った。もう何と言っているのかもよく分からない。全神経が衝撃を耐えることだけに集中している。他のことを考える余裕はない。
 セリーの顔が何故か迫ってきた。唇が押しつけられる。セリーの舌が動き、俺の口の中に入ってきた。


セリーは主人公が毒を負ったことを見抜き、自らの判断で毒消しを飲ませたのだ。しかも口移しで。
ロクサーヌだって毒を見抜けば、すぐにでも同じことをしただろう。
それでも、あえてセリーにその役を与えた作者に、GJと言わざるを得ない。
セリーはそれまで常に、主人公に何か命令されて動くという態度を徹底してきた。自らその命令について考え、疑問をさしはさんだりはするものの、自分の判断で勝手に行動したことはなかった。
キスも性行為も、主人公の要求に従うという形であって、ロクサーヌのように自ら歓迎したことはなかった。
それが、この時は命令を下す余裕の無い主人公に代わって自ら主人公を助けるための最適な行動を思考し、一も二も無く駆けつけて、勝手に実行に移したのだ。
正直、この行動は読み手としては意外だった。
死んだら解放されるのだから、積極的に助ける理由が無い。
何より、セリーは奴隷としてそれほど主人を愛していないと思っていた。
それがこの行動ではっきりわかったのだ。少なくともセリーは主人公を「信頼」していると。
ロクサーヌのように、「主人公大好き」という記号を貼り付けられた「人形としての妄信」ではない。自らの頭で考えたうえで、この人に付いていきたいというような「人間としての信頼」を読み取ることが出来た。


こういうのに弱いのだ、私は。
どこへでも行ける人間が、いつでも簡単に離れられる人間が、自分ひとりで自分のことができる人間が、それでも自らの意志で主人公に付き従うというのが愛しくてたまらない。
「記号」には、その魅力は出せない。
だから私は「人間」を描いて欲しいとずっと言い続けているのだ。

そして、これが今回一番言いたいことなのだが。
「なろう」小説には、意外に「人間」が描かれている。
と言っても全てのキャラではない。ヒロインが5人くらいいたら、そのうちの1人が当てはまると言う感じだ。まさにセリーのように。
どうも「なろう」のテンプレの中にはヒロインの順番みたいなものも含まれているらしい。メインヒロインが従順好き好き系なら、次のヒロインは深い思考ができる賢い少女という風に決まっているみたいなのだ。
私はこの風潮に希望を感じずにはいられない。
とはいえ、5人いたら最低2人はそういうヒロインが欲しいと思うのだけれど。


それとヒロインに言いたいのは、「主人公に『反対する』視点を持ちえてほしい」ということだ。
先ほども言ったが、私は主人公から「離れて行ける」人間が「それでも離れていかない」というのが好きだ。だから、この「離れて行ける」という前提をきちんと描いておいてほしいのだ。
主人公が過ちを犯した時に、毅然として「それは間違っている」と指摘し、正しい方向へ導いてやれるヒロインが「なろう」に何人いるだろうか。
あるいは主人公と意見が合わないとき、一時的にでも一行を離脱できるヒロインが何人いるだろうか。
これは男友達ポジションでも同じなわけだが、是非そういうキャラが、それでも主人公を信頼しているという構図を描いて欲しいと思う。


さて、ここからは私が個人的に気に入った「なろう」小説のキャラについて話す。
(先ほどのセリーのような個別具体的な話が続くので、さっきのに疲れた方はこの先を読まない方がいいかもしれません。)

そのいち。
「僕は祖父の後継者に選ばれました。」の相坂しとら
この小説は、異世界転生やトリップではなく、現代日本を舞台にした「なろう」では異色のストーリーだ。(ランキング圏外を漁るとこういった作品は山ほど出てくる。「スコップ」と言うのだが、それについてはまた機会があれば。)
ただし、現代日本と言っても、様々な不思議な能力が登場し、一般人の主人公がそういった異能力を持つヒロインを味方につけていくことでストーリーが展開する。
その中の二人目(また!)のヒロインが相坂しとらだ。
しとらの魅力のひとつは、そのずば抜けた強さだ。他のヒロイン達の誰も敵わない、圧倒的な能力を持っている。

「たしかに、七倉菜摘は天才だと言わなければなりません。わたしも、同じくらいの年齢で菜摘ほど強い異能の使い手とは会ったことがありません。でも今はまだ、わたしと菜摘では勝ち負けにもなりません。わたしのほうがはっきり上です」


本来ならば、能力も持たない一般人の主人公が敵う相手では無い。しかし、しとらは主人公に能力の一端を解き明かされて以来、付き従うように主人公のそばにいる。
それは決して、盲目に主人公を崇拝しているわけではない。主人公が能力に巻き込まれるたびに、しとらは怒り、苦言を呈し、それで最後には手助けしてくれる。

「聡太がおかしいからです。理由はそれでもう充分です! 憶測なら既にいくつかあります。御子神叶は賭けをする能力を持っている。聡太がそれに負けたからおかしくなった。それがいちばん考えられるに違いないのですっ」


なぜ彼女がそれほど主人公を気にかけてくれるのか、それははっきりとは描かれない。曖昧に、複雑に、彼女の心情は幾重にも隠蔽されて表現される。
それがいいのだ。それくらいよくわからない方がむしろリアリティがある。
それでもよく読みかえすと、ちゃんと奥底の心情が読めてくるのがまた素晴らしい。
心情は複雑に描かれるほど、それを一つずつ解くたび、まるで本物の人間を相手にしているように見えるのだ。それがそのキャラの可愛さや愛しさを倍増させるのだと思う。

そのに。
「異世界詐欺師のなんちゃって経営術」のオオバ・ヤシロ
驚く無かれ。主人公である。
「なろう」小説において主人公が魅力的だというのは珍しい。それは、大抵の主人公がただ地球から転生しただけの、設定も背景も無い影絵に過ぎないからである。
この作品の主人公ヤシロは、地球でどんな生活を送ってきたか、どんな過去があって、どんなトラウマがあって、だからどんな行動がしたいのか、それらが事細かに設定されている。
ヤシロは元詐欺師である。
両親は幼い頃に他界し、人の良い伯父と伯母に拾われ、育てられた。
彼らはヤシロに対する善意につけ込まれて詐欺にひっかかり、借金を抱えて、自殺した。
やがてヤシロは詐欺師になり、大型の詐欺組織を潰した後、逆恨みで腹を刺され、死んだ。
そして異世界へと転生する。
トラックに轢かれるようなよくある転生ものとは一線を画す始まりだ。
彼はそのトラウマのため、「身を犠牲にする善意」を非常に嫌う。だが、基本的には善人であり、純朴な仲間に囲まれて心を取り戻すうち、自分の気持ちとトラウマの間で揺れ動くのだ。
彼は、単純に仲間を助けるだけなのに、無理にでも自分の懐に利益が入るように計算してしまう。本当に、本当に微小な利益を。

ふっふっふっ……またしても俺は、他人の持ち物で自分の利益を得るシステムを組み上げたのだ。
どーだ! すげぇーだろー!


ただ、これはヤシロへの献身的な善意から破滅した伯父・伯母の自殺した姿が忘れられず、「他人の為に身を粉にしてはならない」という自戒が刻み付けられているため。
素晴らしいのが、主人公と悪態を付き合う仲にある二人目(またまた!)のヒロインで、彼女はヤシロの出自を知らないにもかかわらず、彼の屈折した精神構造を看破し、利益が手に入ったと喜ぶ彼にこう言うのだ。

「善行に理由づけするのも、大変だよね」


私はこの台詞を読んで震えた。
「なろう」に、こんな台詞を吐けるヒロインがちゃんといたとは。
主人公も人間であり、ヒロインもまた人間であったからこそ、この台詞が成立したのだと私は思う。


色々と語ってきたが、要するに、私の言いたいことは「サトシのピカチュウ」なのだ。
ポケモンは、モンスターボールで捕獲されるとトレーナーの言うことを聞かざるを得なくなる。しかしピカチュウはモンスターボールに入っていない。
つまりピカチュウは手続き上「サトシの手持ちポケモン」ではなく、いつでも逃げ出すことが出来る。
それでもピカチュウはサトシのポケモンとして、活躍し続けている。
要するにそういうことなのだ。私の理想というのは。

以前、私は「自我が薄そうな女の子(キャラ)が好きだよね」と言われた。
ここまで読んできてもらえたならわかると思うが、とんでもない!
自我がない女の子は、サトシのクラブと一緒だ。そんなものに魅力を感じることは出来ない。
私は、自我がはっきりくっきりある女の子が、そのはっきりくっきりした自我を自ら主人公に捧ぐ過程がどうしようもなく好きなのだ。
そこだけは勘違いしないでいただきたい。


次回がもしあれば、「なろう」であのようなテンプレが成立した背景について語りたい。
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