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なろうについて語る①テンプレについて

なろうのテンプレについて語る。


みなさん、「小説家になろう」(通称「なろう」)をご存知だろうか。
「なろう」は素人が小説を書いて投稿し、誰でもそれを読める、いわゆる小説投稿サイトである。
小説投稿サイトといってもまあ色々あるのだが、その並みいる競合サイトの中で、もしかすると現時点で最も人気の小説投稿サイトといえるかもしれない。

では、「小説家になろう」の特徴は何かといわれれば、それは「テンプレ」であると言ってもほとんど間違いでは無い。
他の投稿サイトにこのようなテンプレがあるかどうかは知らないが、「なろう」のテンプレは、誰が見ても異常なほど強固だ。
「なろう」のトップページには常に累計ランキングの上位10作が表示される。
是非、それぞれのあらすじを覗いてみて欲しい。
・突然死んで、異世界へ転生。
・突然何やらわからず、異世界に召喚。
少なくとも常に10作中8作は、このどちらかである。
この傾向は、11位以降を観察してもらえればさらに濃厚に感じ取ってもらえると思う。どうやら100位くらいまではこれが続くらしい。

でも、その中でも色々バリエーションがあるじゃないか、と思われるかもしれない。
そう思った方は、ぜひ読んで確かめてみて欲しい。
驚くほど、バリエーションが、ない。
いや、ある意味でのバリエーションは、実は過剰なほどある。だが、なんというか、話の筋道、骨格、メインストリート、そういったものが、どれを読んでも一緒なのだ。

これを「なろう」における「テンプレ」と呼ぶ。


テンプレの具体的な内容をまとめてみよう。

まず、主人公は異世界に送られる。これは一旦死んで転生する場合と、そのままの体で転移する場合がある。
転生のパターンなら、さらに死に方までテンプレ化されている。
トラックだ。
大概の場合、主人公はトラックに轢かれて死ぬ。これがいわゆる「転生トラック」である(界隈では、「転トラ」というだけで通じてしまうらしい)。
そして、なぜか神様がいる真っ白な空間に送られる。
そこで「お前の死はこちらのミスだった」という衝撃の事実が告げられる。普通、トラックで轢かれたなら運ちゃんのミスであって、神様がどうこうミスるような余地はないと思うが、まあだいたいそういう展開になる。
そして、生き返らせることはできないので、異世界に新生させてやる、と言うのだ。
驚くなかれ、ここまで本当に全部テンプレだった時代があったのである。

つい最近アニメ化された、「この素晴らしい世界に祝福を!」(以下「このすば」)という作品がある。あれも元は「なろう」に投稿されていたもので、このテンプレまみれの時期に生まれた作品だ。
「このすば」では主人公がトラックに轢かれたと思ったら実はトラクターで、しかもショック死だった、というネタが第一話にあった。
あれは、本来このテンプレが読者の念頭にあって、それをちょっといじって笑いを取りにいったネタなのだ。
つまり、テンプレが笑いの対象に出来るほど前提におかれていた、という証拠である。

最近は余りにもあからさますぎて、このテンプレも廃れてはいるが、それでもこの流れを踏襲しているものは未だ多い。


まあとにかく、どうにかして異世界に転生、または転移する主人公だが、ここで「チート」と呼ばれる能力が与えられる。
チートとは、その世界の人が誰も持っておらず、持っているだけで世界で優位に立てる能力。
超人的な身体能力かもしれないし、強力な武器かもしれない。膨大な魔力だったり豊かな魔法適正でチート魔術師になる者もいれば、鑑定眼、鍛冶、コピー能力などのユニークスキルを活かす者もいる。あるいは、その世界が貧弱すぎて、元の世界の知識がそのままチートになることもある。
この部分には妙にバリエーションが多い。というより、他の部分はほとんど変えずに、チートのバリエーションだけでどれだけ小説が書けるかという競争をしているのではないかと思えるくらいだ。

で、異世界にはダンジョンがあったりする。
これはあるのとないので半々ぐらいだと感じる。
ダンジョンがある場合、その構造もほぼ決まっていて、
・魔物、アイテムは無限に沸く。
・階層構造になっていて、階層が進むほど魔物が強く、アイテムが良い。
・各階層の構造は常に変化する。
と、まあ言ってみればゲームの世界観だ。

というより、「なろう」のテンプレは、基本すべてがゲームに基づいている。
スキルだったり、アイテムボックスだったり、HP、MP、レベルだったり。ルーラ的なものも完備されている。主人公はこれらをゲーム的にとらえることで状況を理解するのだ。
主人公だけがそれを理解できるということこそが、一番のチートに違いない。

だから、「なろう」のテンプレ世界観のことを、よく「ゲーム的異世界」とか言ったりする。
ただし「死んでも生き返る」という設定は、意外に少ない。ランキング上位の作品ほど、こういった設定を用いない傾向がある。
なぜか、ダンジョン内の死などは妙に重く描かれるのだ。


話をテンプレに戻す。
主人公のやることは、だいたい「冒険者」「領主(国王)」「経営」のどれかだ。
冒険者が一番わかりやすく、ひたすら冒険に繰り出しては魔物を狩り、得た金で装備やら何やらを整える。この繰り返しで、たまに困った人を助けたりする。
飽きやすいのが欠点だが、まあまあ平和でいい(冒険者が一番平和というのが皮肉すぎるが)。
突っ込みどころが多いのは下二つである。

領主の場合は自分の領地を、異様に、それはもう異様に発展させる。
大抵は、異世界の文明レベルが低い(古代~中世程度)ことを利用して、現代の知識をフル投入し、近隣諸国と差をつける。
こういうのを現代知識チートとか、内政チートという。
だが、使っている知識が、Wikipediaで調べてきたようなペラッペラの専門知識だったりして、「お前はそれを暗記しているのか」「そんな付け焼き刃の知識でうまく行くと思うのか」と突っ込みたくなることも多い。
その辺りを揶揄する意味合いで、NAISEIとか、NAISEEEEIとか、Wikipedia型内政術とか言ったりする。いや、後ろ二つは勝手に私が言っている。

例えばあなたが急に死んで異世界に転生して、その世界にはパンが無いから自分で作ろう!となるだろうか。
小麦粉をこねて焼けばいい程度の簡単な知識では、まず現代であっても無理だ。その上、材料も火起こしも器具も全て異世界にあるものを使うのだ。そう簡単に成功してたまるか。十回くらい失敗した上でならともかく。
なお、これに限った話ではないが、「なろう」では「失敗」というものが基本的に描かれない。主人公は必ず勝つし、必ず成功するのだ。

主人公が経営をやる場合もだいたいこれに近い。
現代知識を使って、その世界の人には見慣れない素晴らしい商品を次々と発明したりして、ボロボロだった店を再建していくのがひとつのテンプレである。
言ってみれば主人公は、自分の力を何一つ使っていない。
現代日本の力を使っただけだ。
だが、それが受ける。受けるから上位にいるのである。


テンプレは主人公の人格にも及ぶ。
全ての主人公は、転生(転移)前の知識の差などを除けば、だいたい同じキャラである。いや「全く」同じキャラと言ってもいいヤツすら、ちらほらいる。

性格は基本、厭世的である。
斜に構えていて、世界を舐めていて、そして、自分を価値の無い存在だと思っている。
トラックに轢かれて死んだときに、まず例外なく、その死を悲しむことをしない。
「そうか、死んだのか」くらいが関の山で、驚きもしない、取り乱しもしない、神様に突っかかりもしない。
その癖、異世界では妙にテンションが高く、研究気質で、やたらと知りたがる。
そして仲間を非常に大事にする。
俺の仲間を傷つけるのは許せない、とか平気で言う。
このあたり、キャラとしてもよくわからないし、人間的にも屈折しすぎているように感じる。
前述したとおり、全体的にゲーム的な「なろう」小説であったも、なぜか「命」だけは非常に重く見る。
モブの命が失われるシーンを相当深刻に描写したり、仲間がもし死んだら俺は……みたいなモノローグも出したりする。領主系なら、領民ひとりひとりの命を本当に大切にする。
それはいい。非常に結構なことだと思う。

でも、それなら、最初に死んだお前の命はどうなんだ、と思わなくもない。
「転トラ」なんて言われてものすごく軽く散っていく命。
前述の「このすば」だって、トラクターにはねられかけてショック死して、親まで爆笑したなんて伝えられて、それで笑い話にしたつもりなんだろうけど、なんだかモヤモヤが取り払えなかった。人間一人が死ぬと言う事態が有り得ないほど軽く見積もられている気がして。
それで、後の展開で「命」を語るのかよと。

現代から異世界に転移する話で、Web小説ではなくライトノベルでなら、「ゼロの使い魔」という有名作がある。
これは主人公が街を歩いていたらいきなり異世界に召喚されてしまったパターンだ。
彼のいた世界はその後どうなったのだろうか?彼の両親は?友人は?
実は、だいぶ後の方の巻で、一瞬だけ地球と異世界が繋がったことがある。
主人公はこの時、母親が一年近く主人公を探し続けて、げっそりと疲弊した姿を見る。
すぐにでも帰って、その痛々しい姿に声をかけて安心させてやりたい。でも、今は異世界のほうが存亡の危機だ。異世界にも大切な人々ができて、それを守るために、今地球に帰るわけにはどうしてもいかないのだ。
その後、主人公の持ってきていたPCには、母親からの何百通ものメールが届く。一瞬世界が繋がったことで受信されたものだ。母親は主人公の無事を信じ、PCの契約を止めないで、毎日メールを送り続けていた。
……と、こういう話があるのだが、私はいつも「なろう」小説の新しい第一話を読むたびに、転生トラックを見るたびに、この話を思い出してしまう。
こういう視点は、「なろう」には一切ないのだ。
というより、あってはいけないのだろうな、と思う。現代に未練を持つような視点は。でもなぜ駄目なのかがわからない。「なろう」は世捨て人の集まりと言われているが、そんなにか?そこまでか?


さて、主人公の性欲についても、いまいちあるのかないのか判断がつかない。
ほとんどの作品は、地の文やモノローグで、あるいは主人公が直接声に出して、「性欲がある」ことを明示している。
けれど、その態度やら行動やらを見ると、どうも性欲があるようには見えない。
なんというか、「性欲があります」というポーズをとっているだけなのだ。
だいたい女の子を見たら「巨乳!」しか言わないし、言って終わり。
性行為のある作品でさえ、「これこれこういう性行為をしたのです」というような淡々とした文章が流れる。なんだこれ。

ヒロインも大概なのだが、ヒロインは一人ひとり「記号」があるおかげで、大したキャラ崩壊は起きていない。でも主人公ズだけはどうにも納得が行かない。どういうキャラ造形になっているんだろう。いつか作者に聞いてみたい。


ここまで、テンプレを紹介するという体でひたすら罵り続けてきた。
だが、勘違いしないで欲しい。私はこのテンプレ、悪いとは思っていない。むしろ優秀だと思っている。
よく、「『なろう』は一番初めに読んだ小説が面白い」という言葉を聞く。
ランキングの中のどれを最初に読んでも、それが最も面白かった小説として記憶に残るのだ。
これは一重に、テンプレの優秀さを表している。
私の場合は「異世界迷宮で奴隷ハーレムを」だったのだが、初めて読んだ時は、このテンプレは結構斬新に感じるものだ。
ものすごくさらっとした入りから、怒涛のチート展開。爽快感もたぶんあるのだろうし、何より止め時を失ってしまう。
でも、それは一回までだ。上位作品にもう1つ2つ手を出すと、もう飽きてしまう。テンプレは諸刃の剣である。

テンプレの優秀さは、書くほうにも大きい。
何せ、厄介なところを何も考えずに書ける。
考えたいところだけ考えて、書きたいところだけ書ける。
穴抜きされたプリントを渡されて、ここを埋めればシナリオができますよ、というようなものだ。私はこれをモジュール型クリエイティングと読んでいる。
実際、読者もそれくらいの軽さを求めているので、実はWinWinなのだ。1作目までは。


次回は、キャラについて語りたいと思います。
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