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カタザトさんの「ファンタジー論」を考察してみた

小説投稿サイト「小説家になろう」で活躍中のカタザトさんという方が、面白い議題を提起なさっていた。

ファンタジー論

SFはほぼ100%世界設定と物語上の核がリンクしている。~~中略~~
ファンタジーはその点、現実を離れて(SFよりも更に)自由に世界を設定できるにも関わらず、そうした構造になっているケースが少ない。



私なりに内容を再提起させていただくと、つまりこういうことである。
物語の舞台というのは、通常メインの書きたいものを描く為に最も適したものが設定される。恋愛が書きたければ学園ものにしたり、バトルが書きたければ戦闘力が意味を持つ舞台にするように。
その中で最たる例がSFである。宇宙だとか時間移動だとか様々なガジェットを使いたいがために、SFという舞台が利用される。まずSFが書きたいのではなく、宇宙戦争が書きたい、だから宇宙航行技術がないといけない、じゃあSFにしよう!だとか、超能力が書きたい、超能力の科学的根拠が必要だ、じゃあSFにしよう!という流れで。
このような時に何故SFが選ばれやすいかと言えば、SFはかなり自由度の高い世界設定ができるからである。
しかして、SF以上に自由度の高いはずの異世界ファンタジーというジャンルでは、このように書きたいメインの何かが先にある場合が少ない。どちらかと言えば、まず異世界ファンタジーが書きたい!があって、じゃあ話のメインははどうしようか、剣にしようか魔法にしようか、成り上がりにしようか英雄譚にしようか、となっている人が多い。

このあたり、カタザトさんは非常にわかりやすくフローチャートにしている。

「こういう話がしたい、話の中でこういう仕掛けをしたい」

「そのためには、こういう設定にしたい」

「だからSF」



「ファンタジーが書きたい」

「こういう世界設定(テンプレートに沿う」

「こういう話」



SFとファンタジーで、話の作り方が逆になる、というわけだ。私も、これはなるほどと思った。

ここからは私見。
はっきり言って、現状の異世界ファンタジーと呼ばれる分野は、ほとんどトールキンの世界観だと思う。
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魔法があり、小人とエルフとドワーフがいて、みんなで旅をして……。
エルフもドワーフもトールキンが作った概念ではないが、今エルフやドワーフと聞いて我々が思い浮かべるイメージは、ほぼ100%「指輪物語」が初出のトールキン完全オリジナルである。
これに神話や現代ゲーム的リアリズムをちょこっと混ぜたようなのがほとんどだろう。その割合は作者や発表媒体による。最近の「小説家になろう」ではゲームの割合が高い。それも竜と精霊、MPにスキル、ギルドなど、ほぼガジェットは一致している。個々人が発想の元ネタにしたゲームはネットゲームなど色々あっても、源流をたどればおおまかにドラゴンクエストとファイナルファンタジーのどちらかに辿り着くだろう。そして、それらの開発者は(少なくとも間接的には)「指輪物語」に影響されている。

なぜ他の世界観ではいけなかったのか?なぜファンタージエンでなく中つ国だけがこうもモデルにされるのか?あるいはワードローブから飛ばされる、ライオンが神様の異世界ではいけなかったのか?

私には、ひとつの明らかな答えしか浮かばない。
つまり、「なんでも良かったが、たまたまそれがポピュラーになったから、余計にポピュラーになった」のだ。
思うにカタザトさんの示したファンタジー版のフローチャートには、もっと前の段階がある。
彼らはおそらく、まず「何でもいいから小説を書いて評価されたい」がある。
では何を書けばいいか。「とりあえず知り尽くした舞台に手を出してみよう」となる。
これはネット小説なら特に言えるが、相当合理的な選択だ。既に確立された世界観を拝借することは、少なくとも3つの利点を生む。
①固定層があり、評価を得やすい。
②書く側の手間が少ない。
読む側の手間が少ない。
特に③は注目に値する。読者にとっても、既に頭に叩き込まれた説明の要らない世界観で話を進めてもらうほうが、すんなりとストーリーだけを追えるのだ。
実際「指輪物語」では、1巻の半分を世界観の説明だけに終始する部分がある。ストーリーに入る為にそんなものを必要とする小説は重過ぎるだろう。

以下、ネットと紙媒体に分けて論を進める。

まずネットだが、これは何よりも「気軽に読めること」が売りの媒体だ。言ってみれば、無料の暇つぶしをすることが主目的。電車の数十分が耐えられればそれでいいのだ。それに沿った形で戦略を立てなければならぬ。
読むのに時間のかかる、あるいは頭を使うものはNGだ。世界観の説明をうんうん言いながら暗記するなどもってのほか。もはやなるべく説明ゼロが望ましいので、現代そっくりの世界観か、共通基盤の利用、つまり「なろう的ファンタジー世界」を使うことになる。
さらに、元々が暇つぶしのため、ちょっと更新が空くともう忘れられる。忘れるというか、元よりどうでもいいのだ。だから長く追ってもらうには、最低でも3日に1話は更新しなければならないとされる。そのためには書き手の方も長く時間を使っていられない。ストーリーもガジェットも、モジュール化したフリー素材をいかにうまく使ってオリジナル風に組み上げられるかというところに尽きる。これはやってみたら意外と高等技術なので、単純にテンプレ産業だと馬鹿に出来る話ではない。
こういった理由で、ネット小説では特に、「確立されたファンタジー世界」を使うのが有効である。魔法が書きたいのではない。ファンタジーが書きたいのでもない。小説が書きたいのだ。

一方で紙媒体だが、これも既に確立された世界観を使うことで書き手・読み手双方の負担を減らすという意味合いは変わらない。
が、それに加えてファンタジーというジャンルには、「憧れ」という要素が強いと思う。
SFやミステリの場合、大先輩も含めて全ての同業者がライバルのように競い合い、「追い抜いてやろう」という面がある。しかしファンタジーでは、皆自分のかつて読んだ話を師匠として、それに「追いつこう」とする面が大きい。まあこれはあくまで私見だが。
その違いが現れているのではないだろうか。追い抜く場合は、先人と同じことをしてはいけない。画期的・革新的なものを書かなければならないから、独自のガジェットやテーマを開発して、それを生かすための舞台設定を選ぶ。追いつく場合は、先人の道をなぞるのが最も効果的だ。

それではファンタジーの場合、カタザトさんのいうように「こういう話が書きたい→だから異世界ファンタジーが適している」という流れはないのだろうか。
私は、ひとつだけその流れを知っている。
まさにカタザトさんが得意とする、「異能ミステリもの」である。
魔法をガジェットとしてミステリに取り込み、新しい分野を開拓したい。だから、舞台は魔法のある異世界が良い。
こういうトリックが使いたい。だから、こういう魔法があればいい。
推理の為に魔法に制限が欲しい。だから、こういう理屈があればいい。
全て、「書きたい何か→世界設定」の順だ。だからこそカタザトさん作の「ファンタジーにおける名探偵の必要性」は、ありがちな設定のゲーム世界とならず、世界の根元まで綿密な設定が備わったオリジナルの世界観になった。
同様に魔法世界でミステリを描いた、米澤穂信さんの「折れた竜骨」なども、ありがちなトールキン世界とはかけ離れた魅力的な世界観だった。
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その原動力は、やはり「新しい小説を開拓したい」という野心、つまり「追い抜く」気持ちだったと思う。
ネット小説にも、ファンタジーというジャンルにも、この気持ちが欠けているように私は感じる。
「追いつく」ではなく「追い抜く」、その気持ちを持った作家が作品を作っていかないと、どのジャンルも衰退する。ファンタジーにもそのような作家が増えることを期待したい。
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