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現代ミステリを読もう!②

この記事は「現代ミステリを読もう!①」の続きです。


前回は、現代のミステリが持つ5つの課題を紹介した。
今回はそれに従って、いま流行している様々なミステリのジャンルについて分析していこうと思う。
なお、以下のジャンルの中には以前から作例が存在するものもあるが、あくまで現代ミステリの紹介ということで、作例には最近のミステリをおいていることを許してほしい。


①日常の謎

氷菓 (角川文庫)
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米澤 穂信
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例:「氷菓」「退出ゲーム」

殺人などの重い犯罪を扱わず、日常の中でおこる些細な謎の解決を主軸に置くジャンル。
魅力的な謎、鮮やかな解決があればそれはもうミステリであって、その良し悪しにテーマの重さは関係がない。むしろ、警察の科学捜査などを避け、解決役を特別な権力を持たない一般人に絞ることで、純粋に論理の切れ味を楽しむ事ができる。警察が本気を出せばすぐに暴かれてしまうような「隠れた真相」が用意できるのは現代においてはこのジャンルくらいかもしれない。(⇒キーワード④「警察は無能ではない」)
探偵は、何の変哲もない登場人物の一人として描かれることが多く、その苦悩や成長にスポットが当てられることもある。時には解決に失敗することもあるが、題材が日常であるおかげで、その代償が命のような深刻なものではないのが救い。(⇒キーワード③「探偵は神ではない」)
その点で学園ものや青春ものとの相性も良く、ライトノベルやジュブナイルとの融合を果たしている作品が多い。これらとの融合は思いがけない副次効果を二つも生む。
一つ目は、シリーズの持つ意味を変えたこと。ホームズのような旧来ミステリはしばしばシリーズ化しても「どこから読んでも一緒」「飽きが来る」「シリーズを通読する必要が無い」という出版社的には大きな欠陥を持っていたのだが、ライトノベルやジュブナイル的な構成を取ることによって「ストーリー」という一本の軸を持ち、シリーズを通して読むモチベーションが生まれるのだ。
二つ目は、伏線の張り方がスムーズになること。旧来ミステリでは、どんなに意味のなさそうなシーンやくだらない会話の中にも、基本的には伏線が張ってあり、読者はそれを覚悟して読んでいる。つまり不自然な伏線の張り方は一発でばれてしまう。しかし、ジャンルが半分ライトノベルであれば、ストーリーのために意味のある会話、推理のために意味のある会話、単にキャラを立て読者を楽しませるための意味のない掛け合い、など様々な会話が渾然一体に提供でき、意味のない会話に見せかけて伏線を張る、などの自然な仕込みが可能となる。(⇒キーワード⑤「ミステリは聖域ではない」)
一方で、従来のフェアプレイを破るような新鮮なトリックはやりにくい。半分ミステリでないような日常の謎がそれでもミステリとして認められるのは、軽いテーマの中にもしっかりとミステリとしての構造を持っているからだ。逆に言えば、日常の謎でフェアプレイを大雑把にしてしまうと、ただの一般文芸と変わらなくなる危険がある。(⇒キーワード②「フェアプレイは厳密ではない」)
このジャンルでは、突拍子もないトリックよりはむしろ、単純なトリック、昔から知られているトリックを「日常」という文脈の中で如何にうまく再構成して見せられるかというポイントのほうが重要になるだろう。(⇒キーワード①「トリックは無限ではない」)

②過去の謎

ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)
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例:「ビブリア古書堂の事件手帖」「万能鑑定士Qの事件簿」

謎を現在ではなく過去に持ってきたのがこのジャンル。あの時何が起こったのか、あの事件の真相は何だったのか、という視点で謎を展開することにより、普通のミステリとは一風変わった展開を作ることができる。
こちらも問題の深刻さを下げ、警察の介入できる余地を避けている点では日常の謎と同じだが、過去の事件の場合は殺人などの重いテーマを描いてもよいのが大きな特徴である。現在の警察を無能に描くことに比べると、昔の警察の捜査が間違っていた、という展開はそれほど不自然ではないし、本来警察の領域である事件捜査に一般人が首を突っ込むことも、昔の事件ならそれなりに許容されるだろう。(⇒キーワード④「警察は無能ではない」)
日常の謎と同じように、純粋な論理と演繹によって謎を解く展開も醍醐味であるが、このジャンルではさらに、「文献を当たる」「聞き込みをする」といった現実の探偵に近い地味な調査の過程にいかに面白さを作れるかがポイントでもある。この点では、探偵役はある程度の能力と権力を持ち、面倒な調査をするモチベーションに説得力のある人物、つまり何らかの調査を職業としていることが望ましい。プロであることで、探偵の持つ不自然な万能感もある程度カバーできる。(⇒キーワード③「探偵は神ではない」)
したがって、ジャンルとしてはミステリの他に、「職業小説」としての要素も持つことが出来る。筆者の持つ知識を活かして、経営戦略や同業者との絡みなどを入れるものもある。(⇒キーワード⑤「ミステリは聖域ではない」)
トリックは旧来から知られているものを再構成しても良いし、比較的新鮮なものを作ることもできそうだ。なぜなら、文献や人々の知識のみが唯一手がかりになるという特殊な状況では、伏線の張り方や制約条件も普通のミステリとは変わってくるからだ。文献の中でしか使えないトリックなどは研究され尽くしてはいないだろう。本の一部が紛失あるいはバラバラになったという作例だけでも様々な可能性がある。(⇒キーワード①「トリックは無限ではない」)あるいは、後に紹介する叙述トリックという大技も使うことができる。(⇒キーワード②「フェアプレイは厳密ではない」)

③キャラ系ミステリ

探偵ガリレオ (文春文庫)
東野 圭吾
文藝春秋
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例:「探偵ガリレオ」「ST 警視庁科学特捜班」

自ら進んで凄惨な事件に首を突っ込み、誰にも見抜けない驚愕の真相を毎回論理の力で導き出す「探偵役」なんて存在はおかしい、よほどの奇人変人しか有り得ないという違和感を逆手に取り、本当に「よほどの奇人変人」を探偵役に据えてしまうミステリ。(⇒キーワード③「探偵は神ではない」)
ホームズやポアロなどの旧来ミステリが持っていたいわゆる「探偵萌え」を最も忠実に継承していることも特徴。一般文芸などでたびたびブームになる「理系萌え」などの要素を取り入れ、さらに魅力を増している。(⇒キーワード⑤「ミステリは聖域ではない」)
このジャンルの作品は警察が協力する、あるいは探偵役がそもそも警察であるタイプが多い。これも旧来ミステリの文脈を忠実に継承しているためだと思われる。となれば当然警察の捜査能力がポイントとなる。(⇒キーワード④「警察は無能ではない」)警察が総力を挙げてもある程度見抜かれない、かつ探偵役には見抜けるトリックということで、薬品や専門機器などを使用した科学トリックが用いられることが多い。これは「奇人変人である探偵」との相性も良いだけでなく、現代になって研究された新薬品・新理論を使うことでトリックの有限性を突破している。(⇒キーワード①「トリックは無限ではない」)
しかし、別の視点ではこれらのトリックは十戒の4番未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない)を破っているので、ミステリとしては認めない者もいるだろう。しかし他の十戒が次々と破られている今、4番だけが守られ続ける道理もない。(⇒キーワード②「フェアプレイは厳密ではない」)
どちらかと言えば、独特なキャラクター性を持った探偵の活躍という観点で読めば楽しめるものであり、その意味では旧来ミステリの持つひとつの魅力を切り出して極限まで高めたものと言えるのではないだろうか。

④安楽椅子探偵

謎解きはディナーのあとで (小学館文庫)
東川 篤哉
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例:「謎解きはディナーのあとで」「神様のメモ帳」

安楽椅子探偵とは、自ら調査したり事件捜査に同行することなく、他人から聞いた情報だけで真相を導き出す探偵のことである。すべてのミステリの中で最も論理力が重要になるジャンルだ。実はこのジャンル自体はかなり古くからあり、旧来ミステリの部類に入るのだが、現代ミステリとしてもかなり重要な部分を占めているのでここで紹介したい。
安楽椅子探偵の条件として、「探偵に情報を渡す人間」が必要になる。これは旧来は、警察やそれに近い立場の人物だった。しかし現代ミステリにおいては、一般人がその役割を負うことが多い。安楽椅子探偵を描くに当たって、相談に来るはずの警察が遥かに優秀になってしまったことは無視できない。そこで、何らかの事件の真相を突き止めたい一般人が、頭の切れる人物に相談して、その人物が答えを出すというスタイルに変わっていったと思われる。この場合、依頼者と探偵はただ相談しているだけであり、事件に首を突っ込んでいるわけではない。ゆえに警察の介入する余地はない。警察の圧倒的捜査能力に邪魔されることなく、純粋な論理展開を楽しむことが出来るのだ。(⇒キーワード④「警察は無能ではない」)
この「依頼者」の立場の人間は、大抵の場合視点人物となり、そのまま主人公になる。ミステリでは視点人物がワトソン役でも「主人公」とされるのは探偵役だが、現代安楽椅子探偵においてはほぼ依頼者が主人公の役目を持つ。これは大きな特徴だ。探偵を神のように描くのが問題となるのは探偵がメインだからであって、探偵があくまで相棒役に徹するならば、「主人公」の苦悩、成長を描くことで探偵の人間性のなさをカバーできるのである。むしろ、主人公が人間味あふれるからこそ、探偵は奇人変人くらいのほうが相性がいいとまで言える。(⇒キーワード③「探偵は神ではない」)
また、現代ミステリには「仲良しグループで気になった事件についてぐだぐだ話す」というタイプのものが意外と多く存在する。このタイプも広い目で捉えれば安楽椅子探偵と言えそうだ。多少の調査はするものの、基本的には論を戦わせることによって推理するのである。
このジャンルは、ほとんどの場合、解くべき謎の種類によって上記①~③のジャンルと共存する。他分野との融合などもそれに準拠している場合がほとんどなので、そちらの説明を参照して欲しい。

⑤特殊設定ミステリ

七回死んだ男 (講談社文庫)
西澤 保彦
講談社
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例:「七回死んだ男」「陽気なギャングが地球を回す」

SFやファンタジーなどの要素を取り入れ、魔法や超能力、幽霊や蘇り、時間停止や時間遡行などが存在している仮想世界において謎を解き明かすミステリ。(⇒キーワード⑤「ミステリは聖域ではない」)
勘違いしやすいのだが、「魔法が使える!なぜ?」というのが謎ではなく、「魔法が使えるのは常識として前提されている世界」において、殺人事件などの謎を扱うのである。
そうなると、当然フェアプレイが重要な問題になる。魔法で殺しました、魔法で壁抜けしました、魔法でアリバイを作りました、などとやりたい放題ではミステリにはならないので、作品に登場する特殊設定にはかなり厳密にルールや制約条件を設定し、それを早い段階で読者に提示する。ある意味最も忠実にフェアプレイを心掛ける必要があるが、それでは結局工夫がない。ルールの微妙な隙を付き、「納得できるアンフェア」を生み出すことが面白い作品として求められる。(⇒キーワード②「フェアプレイは厳密ではない」)
特殊設定のメリットは色々とある。ひとつには、現代的な捜査の及ばない状況を作りだすことで、旧来ミステリさながらの手探りの捜査が演出できることだ。この緊迫感を再現するのは、日常の謎のようにスケールを落としてしまっては難しい。警察の能力が及ばない、かつ緊張感のある捜査を描くためには特殊設定が何より有効なのである。(⇒キーワード④「警察は無能ではない」)もうひとつは、通常の設定では考えられない独特なトリックを用意することができる点だ。トリックありきでルールを作ることすら可能なので、このジャンルに限ってはトリックは実質無限にあると言って良い。(⇒キーワード①「トリックは無限ではない」)

⑥叙述トリック

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)
歌野 晶午
文藝春秋
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例:「葉桜の季節に君を想うということ」「イニシエーション・ラブ」

叙述トリックは、活字という媒体を利用し、地の文の中に仕掛けを作るトリックだ。
その性質上、作中の登場人物が叙述トリックに騙されることは決してなく、読者だけがその仕掛けに騙される仕組みになっている。この点では、ミステリの持つ「作者と読者との真剣勝負」という一面をより追求したものになっている。
このジャンルの歴史は、常にその時代のフェアプレイの基準を逸脱することで作られてきた。叩かれては受け入れられることを繰り返して、少しずつルールの幅を広げてきたのである。(⇒キーワード②「フェアプレイは厳密ではない」)
その結果、叙述トリックは現代ミステリの持つ多くの課題を一手に解決するポテンシャルを得た。まず、当然ながらトリックの領域は格段に広がった。(⇒キーワード①「トリックは無限ではない」)さらに、作中に向けたトリックでないことから、後期クイーン問題や警察の問題は無いに等しい。騙されているのは読者だけで、作中では何の事件も謎も発生していないのだから。(⇒キーワード③「探偵は神ではない」、キーワード④「警察は無能ではない」)そもそも探偵の存在すら必要ないので、物語としては自由に仮のテーマを設定し、あらゆる小説分野の皮を被ることができる。おまけに読んだ後の衝撃が大きいので、話題性の確保もしやすい。(⇒キーワード⑤「ミステリは聖域ではない」)
現代ミステリとしてあまりに優秀なため、今後もこのジャンルは増え続けるだろう。
ただし、その全ての優秀さは、裏返せば「そもそもミステリなのかこれは」ということになる。これからの革新に期待したいところだ。



これらのジャンルは互いに影響しあい、融合しているものも多い。日常の謎を専門とするキャラクターの強い安楽椅子探偵、などというものも存在する。
2000年以降の人気ミステリを一通り調べたが、逆にこれらのジャンルの要素をひとつも吸収していないミステリは無いように思える。これから刊行されるミステリも、このような視点で読んでみると初心者にも面白いのではないだろうか。
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現代ミステリを読もう!①

私は普段、このブログで読書感想文を書いたりしているが、その半分以上(2015年11月30日現在で7冊中4冊)がミステリのジャンルとなっている。
そんな中で、先日「インシテミル」の感想を書いた時にいろいろ思うこともあって、こんなページを書いてみることにした。
願わくばこれをきっかけにして、ミステリ入門者が増え、私の読書感想文も幾分か読みやすくなりますように。


ミステリというジャンルは、けっこう一見様お断りの門前払いみたいな感覚がある。なぜか独自の了解だったり共通理解みたいなものを必要とすることが多いし、平安時代の歌合わせよろしく古典的名作を知っておくことがマナー、みたいな変な習慣もある。
そういう精神構造みたいな部分だけではない。先日このブログでも紹介させていただいた、カタザトさんという方のエッセイではミステリの構造をこのように分析されている。(一部抜粋、中略あり)

ミステリが最後に種をばらす手品だとするなら、そのネタばらしを沢山経験してきた読者は、手品のパターンや種がどんなものかをよく知っていることになります。つまり、経験値の高い読者には手品がばれやすい。
一方、あまり手品もネタばらしも見たことがない読者は、比較的簡単な手品でも新鮮に楽しんでくれるでしょう。

今までのミステリを読んできた読者を驚かせるために、本格推理の最前線では、もはや「これって推理小説って呼べるの?」という限界ギリギリアウトの作品やアンチミステリが登場しています。
冷静に考えてみてください。
そういう作品を、ホームズを読んだこともない読者が読んで楽しめるでしょうか?
ミステリ、推理小説は、ライト層にもコア層にも面白いと思ってもらえるものを作るのが非常に困難なのです。

素人、初心者のための具体的なミステリーの書き方 – 小説家になろう



私はこの現状を、非常に残念だと思っている。
確かに上級者と初心者を同時に楽しませる作品は少ない。しかし、少し見方を変えれば、ある程度幅の広い層が同時に楽しむ方法はあると思う。
そういう、なんというのだろう、「現代のミステリだからこそ、こんな楽しみ方ができるんじゃないかな?」というようなことを、どうにか伝えていきたいと思うのだ。

そのためにまず、現代ミステリが直面している状況について5つのキーワードにまとめてみた。
「トリックは無限ではない」「フェアプレイは厳密ではない」「探偵は神ではない」「警察は無能ではない」「ミステリは聖域ではない」の5本立てだ。

1.トリック無限ではない 〜乱歩分類


ミステリに対するポピュラーな捉え方のひとつに、「作者と読者の知的勝負である」というものがある。
作者は読者に謎を提供する。読者は頑張ってそれを解く。そういうルールのゲームだ。
そうでない捉え方もある。ミステリは読者に新鮮な驚きを与え、楽しませるものだ、と言う人もいる。
どちらにせよ、最も重要なのは「謎」の存在だ。
「謎」は簡単にわかってはいけない。そして、「謎」はちゃんと解けなければならない。
この結論はどの考え方でも変わらないと思う。とにかくそういう「謎」を作るための方法として、どうしても、「トリック」というものが必要になる。
密室トリックでも機械じかけでもなんでもいいのだが、何かトリックがないと、謎が謎にならない。人が人を殺しておしまい、だと、誰にでも一瞬で解けるか、もしくは誰にも永久に解けないものになる。これではまずい。
ミステリは「謎」の発生からその解決までの間を描くものとも言えるわけだが、その自然な時間差を作るのが「トリック」なのだろう。トリックのないミステリは考えられない。
そして、容易に想像がつくことだが、このトリックがもはやネタ切れを起こしている。
当たり前だ。全てのミステリにはトリックがある。そのトリックは簡単なものではいけない。前と同じものでもいけない。とても自然な帰結として、「トリックのネタ切れ」は導かれる。
たとえば密室トリックにしても、紐や針金を使ってサムターンを回す手法はあまりにも有名だ。ドアの後ろに隠れたり、排気口を抜け道とするトリックや、氷を使った時間差トリックも前例がありすぎる。
もしも現代ミステリでこれらをメインのトリックにおいてしまったら、とても良いミステリとは言えない。あまりにも拍子抜けだということになってしまう。
そこで、普通の発想の意表をつくような、早業殺人だとか衆人環視の殺人だとかいうトリックも考えだされたが、こんな名前が堂々とついている時点でお察しである。当時は斬新だったが、それももはや古典に取り入れられてしまったのだ。
というか、江戸川乱歩がそういうのをまとめた「類別トリック集成」なんていうものを出してしまっている。早業殺人も入っている。もはや乱歩によって分類されていないトリックを考えだすのは不可能に近いかもしれない。
そういうわけで、もし今からミステリを書くのだとすれば、次の2つの選択肢がある。

A.トリックは無難に収めて他で魅力を作る。

B.それでもオリジナルのトリックを使う。
- B1.どうにかまだ誰も考えていないトリックを作る。
- B2.特殊で独特な状況を設定し、その中でだけ成立するトリックを作る。

逃げは決して悪いことではない。今はまだ新しいトリックが作れたとしても、百年もすれば完璧なネタ切れが訪れるのは目に見えている。その時にミステリは破滅するか?それをどうやって防ぐか?まさに現代は、AやB2の方法で素晴らしいミステリを書こうとする先行者たちの宝庫だ。なるほど今回はこういう工夫をしたか、という目線で読むのもなかなかおもしろい。
Aの例は、ひとつには日常の謎のように主人公の周囲の人間模様、青春や恋愛に焦点を当てるもの。これは「氷菓」や「退出ゲーム」などが当てはまる。もうひとつには探偵役に強烈なキャラを持たせるキャラもの。古くは「Gothic」や「ガリレオ」シリーズなどがあり、最近は「戦力外調査官」「ST」「確率捜査官御子柴岳人」「掟上今日子」など、警察系や科学調査との相性が異様に良く、刊行も増えた。
B1の多くは、叙述トリックによるものだろう。ネタ切れが相当深刻になってきた物理トリックや科学トリックに対して、この分野はまだまだ未開の部分がある。ただし、これは活字という特別な媒体を用いてトリックを仕掛けるという意味では、B2にも分類できるかもしれない。
B2の例は、SFミステリや異世界ミステリが有名だ。有名な作では「七回死んだ男」や「生ける屍の死」などがそれにあたる。また、歴史的な謎を紐解く過去ものや、日常の謎の一部にも独自状況を設定する余地がある。


2.フェアプレイ厳密ではない 〜ノックスの十戒


ノックスの十戒、と呼ばれるルールがある。
これ自体は現代ミステリどころか相当古い時代、1928年に提唱された、「ミステリを書く時のお約束」みたいなやつだ。読者ではなく、作者に向けて提案されたルールである。
Wikipediaから引用する。

1. 犯人は物語の当初に登場していなければならない
2. 探偵方法に超自然能力を用いてはならない
3. 犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない
4. 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
5. 中国人を登場させてはならない
6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
8. 探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
9. “ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない
10. 双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない



当たり前といえば当たり前、というようなルールが並んでいる。ちなみに中国人というのは、当時で言う「超能力者」の意味合いがあった。詳しくは知らないが、昔中国人が気功を使ってなんかしたミステリがあったらしい。
要するに、ミステリは作者と読者との対決ゲームなのだから、きっちりしたルールでフェアにやりましょうね、という提案だ。他にもヴァン・ダインが提唱した二十則もある。
だが、現代においてこれらが守られているミステリは限りなく少ない。なぜだろうか?
もちろん、先に述べた「ネタ切れ」が大いに関わっている。それに加えて、冒頭のカタザトさんの指摘もクリティカルだ。つまり、読者の経験値が上がりすぎていて、並のトリックではもはや読者を満足させられないのである。
ここで少し考えてみてほしい。
フェアプレイとはなんだろうか?
サッカーや将棋のようなゲームなら、フェアの意味は明確だ。お互いが同じルールに基づいてプレイをする限り、フェア性は保たれる。
しかしミステリは、片方が出題し、片方が解答するという不均衡性が潜んでいる。その上でフェアとは何か。
簡単にまとめれば、「読者が無限の思考能力を持っていれば、必ず正解できる問題」ということになるのかなと思う。
もちろんフェア性の定義にはいろいろな論争があるし、個々人が自分のフェア性を持っているとは思うが。でもまあだいたい、そう遠くもないだろう。
ただ、一点問題があって、「無限の思考能力」は仮定しても、「無限の知識」を与えるわけにはいかないというところだ。たとえば、日本人の99%が知らないような特殊な薬物があって、その薬物の性質を知らないと解けないようなミステリがあったとしよう。このミステリが完全に論理的に組み立てられていたとしても、おそらくフェアとは認められないはずだ。十戒の4番はだいたいそういうことである。
あるいは、犯人も犯人以外の人物もみんな、ランダムに嘘をついているミステリはどうだろう。嘘をつく理由は特になく、適当に面白がっているだけである。しかし、作中に全ての手がかりがあり、実はそれらの嘘を見抜いた上で犯人を導くことができるとする。それでも、これがフェアだと認められることは難しい。犯人以外が嘘をつく手法はアガサ・クリスティが多用したが、それにはきちんと嘘をつく理由、そしてその伏線があったので、アンフェアとは言われていない。この違いはどこにあるだろうか。読者が、「こいつらの発言は嘘の可能性があるぞ」という前提を持てるかどうかに関わってくるのではないか。
大半の読者が了解している前提を元に、納得のいく解答を組み上げられる。これが良いミステリだと認識されてきたのだと思う。
問題はこの「大半の読者が了解している前提」というのは時代とともに変化するということである。
有名な例が、上でも例に出た叙述トリックだ。クリスティが初めて叙述トリックを仕掛けたとき、フェアだアンフェアだという論争がかなり激しく存在した。だが、今では定期的に叙述トリックの新作が出るくらいだ。
要するに、読者が前提とできるラインが変わったわけである。叙述トリックがある可能性を知っているから、それを元に解答を立てることもできる。読者の了解によってアンフェアはフェアに変わるのだ。
ミステリ界には、たまにこうやって「フェアプレイの暗黙の境界線をつついて広げる」ような作品が登場する。
したがって、現代のミステリ作家がフェアプレイとどう向き合うかという選択肢は、次の3つがあるだろう。

A.旧来のフェアプレイを守る。
B.フェアプレイの境界をつついて広げる。
C.フェアプレイなんて知るか。


最後の例も意外になくはない。ミステリは作者と読者との勝負であるという考え方を棄却しているわけだ。この分野はアンチミステリなどといわれ、論理的に犯人が導き出せないものなど何でもアリの世界だ。

3.探偵ではない ~後期クイーン問題


ミステリ界を論争の渦に巻き込んだ、「後期クイーン問題」と呼ばれる議論がある。。
と言っても私は後期クイーンについての話はできないが、この問題の言っていることはよくわかる。要するに、根底にあるのは次のような主張なわけだ。

「名探偵も、悩める一人の人間である」

これがホームズやポアロなどの古い作品には見られず、クイーンの後期の作品に見られる精神だからそう呼ばれるらしい。
具体的には第一問題と第二問題に分かれている。

第一問題:探偵が必要な全ての手がかりを手に入れたことを、どうやって察知するのか?

ミステリは手がかりを集めて推理を組み立てるゲームといえる。ここで読者は、推理に必要な全ての手がかりを、本を読んでさえいれば間違いなく揃えることができる。なぜなら、それができないミステリはフェアではないからだ。
しかし、作中に出てくる探偵はどうなんだろう。
作中人物はこれがフェアなミステリだということは知らない。手がかりをいくら揃えても、それで全ての手がかりが出揃ったのか、その中に偽の手がかりはないのか、そもそも本当に全ての手がかりを揃えたら解ける構造になっているのか、何もわからないはずである。
ミステリの中で、食事中の会話など何気ないシーンが描かれると、それは何らかのヒントである可能性がとても高い。
しかし、そうやって必要な部分だけを抜粋して読める読者とは違い、作中の探偵というのは常に寝て起きてトイレに行って、一日三食きっちり食べるのだ。当然、何の役にも立たないくだらない会話など無数にしているだろう。
その中で、真相にいたる手がかりだけをきっちり抽出し、常に間違えることなく事件を真相に導く名探偵は、もはや人間ではなく神の領域である。
後期クイーン作品はこの違和感を逆手に取り、探偵が偽の手がかりを与えられて偽の解決をしてしまう、という「探偵の敗北」を描いたものが多いという。それだけ探偵に人間性が求められるようになったのだろう。

第二問題:探偵は何の権利があって犯罪者を裁いて回るのか?


探偵は警察ではない。本来事件にかかわる権利も義務もなく、趣味でやっている程度のものだとするなら、その「趣味」で犯人を捕まえ人生ひとつを左右するのはいったいどうなのか。
もちろん犯人は悪いことをしたのだから、さほど倫理的な問題はないような気がする。しかし、第一問題と関連して、探偵が「偽の解決」をしてしまう可能性を考えると、これほど恐ろしいこともない。
また、これはクイーンというよりむしろポアロに感じることなのだが、探偵は事件を捜査するために、犯人以外の様々な人間のプライバシーをも暴きまわる。前述したが、犯人以外の人物もみんな嘘をついているミステリ、というのがポアロ作品にはいくつかある。その理由は、不倫がばれたくないとか、してはいけないことをしていたのを隠したいとか、本人にとっては割りと切迫な事情があったりする。しかしポアロは事件の真相を解き明かすために、それら全ての嘘を白日の下にさらすのだ。
これでは確かに、「探偵に何の権利があるんだ」といいたくなる気持ちもわかる。

「探偵」を、ミステリというゲームを案内するための「装置」と考えるなら、このような問題は考えなくとも良い。
だが現代では、ミステリもミステリである前に小説である、という立場が強くなっている。そして探偵役も「作中人物」の一員であり、ほかの全ての人物と同じように悩むし、間違えるし、恋をするし、恨まれるし、裏切られるし、物語の渦に巻き込まれるのだ。探偵だけに特別な権利のある時代は終わった。

このような考え方の中で、現代ミステリでの探偵の方向性は3つに分類できる。

A.探偵を変人奇人にする。
B.探偵に人間性を与える。
C.そもそも探偵を出さない。


伊達や酔狂で探偵役をする人間はいない」(byカタザトさん)ので、それでも探偵役を登場させるなら、Aの考え方となる。普通の人間は探偵役などしない。ならば逆転の発想で、普通でない人間ならしてもよい。この考え方は上でも述べた「キャラもの」と相性が良い。「ガリレオ」や「ST」など探偵役が学者然としているものが多いのも、「変人性」を演出しやすいからだろう。この考え方を逆手に取った「そして名探偵は生まれた」などのメタ的な作品も面白い。
Bの考え方は、逆に普通の人間に探偵役をさせるための理由が必要となる。大抵それは周囲の人間関係がキーとなる。また、事件が軽いほどハードルも下がるので、「日常の謎」との相性は抜群だ。この場合、探偵を「神」にしないための工夫、すなわち探偵も不完全である部分を見せることが多い。実際、最近の探偵役はよく恋をする。
最後にCの考え方だが、ミステリは読者に対して謎を提示すればいいので、必ずしも作中人物がそれを解く必要はない。解決編では、自然に謎が解ける、全員で協力して謎を解く、読者のみがわかる形で描写する、などの何らかの形で種明かしをすればいいし、解決編を置かずに読者への挑戦として終わらせる方法もある。この考え方は「叙述トリック」との相性がよい。

余談だが私はこれに加えて「インシテミル問題」というのを提唱したい。
これは「探偵の推理に対して、聴衆は聞き分けが良すぎるのではないか?」というもの。
普段、探偵が推理を披露すれば、それがいかに多くの前提と複雑な論理と専門的な知識を要するものだったとしても、最終解決として褒め称えられ大団円を迎えるが、聴衆の理解力がありすぎるのも、犯人が最終的には必ず抵抗しなくなるのも、わりと不自然だといえる。インシテミルはここを逆手に取っていた。つまり、探偵役に加えて聞き手役と犯人役にも人間としてのリアルを求めたわけである。

4.警察無能ではない ~科学捜査の発展


今まではミステリ界の考え方が変わってきたという話だった。
それとは別に、現代ならではの特徴として、「警察の捜査能力が相当に上がっている」という問題がある。
これを問題だとする声はあまり聞かないが、私はかなり深刻な問題だと思っている。
昔のミステリの犯人のうち何人が、現代の警察から逃げ切れるだろう。
旧来からあった指紋鑑定はわずかな痕跡からでも相当正確に鑑定できるようになったし、現場に残った髪の毛一本や被害者が引っかいた皮脂でも残っていればDNA鑑定で瞬時に犯人が特定する。
拳銃や薬物を使えばその入手ルートが徹底的に洗われるだろうし、凶器の処理も困難だ。駅のゴミ箱や山の中まで、どこに捨てても犬と人海戦術と金属探知で見つけ出す。
そして街中にはいたるところに防犯カメラが設置されている。
これらの捜査網を完全に潜り抜け、トリックを実行するのはもちろん不可能ではないだろうが、少なくとも実行できるトリックの幅に大きく制限がかかることは間違いないだろう。大掛かりな機械仕掛けなどはほぼ不可能。他にも「面白いトリック」がどれほど残っているか。
さらに、このことは探偵という存在の意義も揺らがせる。
現代において警察がそんなに優秀なのに、簡単に探偵のお世話になる状況が不自然だからだ。そもそも旧来のミステリから、警察は捜査能力、探偵は知恵、と役割が分かれていた。警察の能力では不十分なところを探偵が補うのである。しかし、その捜査能力が上がったことで、探偵の必要とされる配分が逆に減ってきた。
こうなると、たとえ警察には手におえない事態になったとしても、簡単に素人探偵の協力を許すはずがない。警察と旧知の仲であるとか、既に優秀性が認められている有名な人物でなければならない。
(ちなみにこの問題は、ミステリに限らず現代ファンタジー風のラノベなどにも積極的に訴えていきたい部分である)

この問題に対し、ミステリには2つの選択肢がある。

A.警察を関わらせる。
-A1.警察が探偵役、またはワトソン役である。
-A2.警察が捜査しているが、それと別方向で、あるいは協力しながら探偵が謎を解く。

B.警察を関わらせない。
-B1.警察が関わることのできない状況を作る。
-B2.警察が関わるほどではないスケールに収める。
-B3.警察に対して事件そのものやクリティカルな謎を隠す。

A1は最も積極的な策で、キャラものに多い。もし警察役が探偵の場合、上述の「探偵の人間性問題」も解決される。しかし、A1、A2ともに、警察の内部事情や捜査能力を正確に把握しなければハリボテのようになってしまう。十分に詳しい人でないと書けないだろう。
B1は、嵐の孤島や雪の山荘などの「クローズドサークル」といわれる状況が昔から一般的だ。警察を呼びたくとも呼べないのである。ただし、現代は通信網の進化により、クローズドサークルがより作りにくくなったことは注意したい。
また変則パターンとして、異世界ミステリやSFミステリもこれにあたる。異世界ミステリはそもそも警察がいない世界を設定すれば最も単純だが、そのような社会が成立するのかというファンタジー論からのアプローチも重要になる。SFミステリの場合、例えば幽霊や超能力などが犯罪に関わっていて警察が関知・手出しを出来ない、という方向性がある(ある意味B3に分類することもできる)。しかし、そのような事件がある程度大規模で、また長年に渡って被害が出ている場合は、国家としてなんら対策を用意していないのは不自然なので、警察内部や外部協力機関に「超常現象対策班」などが存在しA2となる場合も多い。この辺りは「神麻嗣子の超能力事件簿」「0能者ミナト」などが良い例だ。
B2は、警察が関わる権利も義務もない個人的な事件を対象とする。殺人事件になるとまず間違いなく警察沙汰なので、このパターンは日常の謎か過去の謎に限られるだろう。
B3は、事件の当事者たちに何かやましいことがあったり、表沙汰にしたくないという理由があって、内々で処理するパターンに多い。また、ある一つの謎を除けば何の不思議もない明らかな事件であって、その一つの謎は一部の人間しか知らないという場合も考えられる。この場合警察はさほどその事件を調査しないからだ。この例としては、少し変則的だが、連続殺人犯が「自分が殺していない人物が被害者に含まれていること」を不可解に感じその犯人を捜す「殺意の集う夜」などがある。

5.ミステリ聖域ではない ~異分野の融合


当たり前だが、ミステリは小説であり、小説は売り物である。つまり、売れなければならない。
最近はこの「売れる」ということに対しての出版社の意識が強くなっている。ミステリもその例外でない。
「売る」ための手法として最も重要なのが「マーケティング」、特にその中の「ターゲティング」である。より売れるためには、より多くの需要を掴まなければならない。そのためには、より広い層をターゲットにしなければならない。
そこで、最近の出版界では積極的に「異分野交流」の動きがある。ミステリにもこの波が訪れた。
ミステリ×SF、ミステリ×社会派、ミステリ×恋愛、ミステリ×ライトノベル、……。
もはや、ミステリは聖域ではなくなったのである。
元々ミステリは、このように様々な分野を取り入れることは得意としていた。なぜなら、「ミステリ」とは読者に謎を提示しそれを解くという「構造」を指し示す分類であり、SFなどのように「舞台」を指し示す分類とは直角に交わる軸だからだ。それぞれの舞台において謎を提示すればよいのである。
しかし、最後の「ミステリ×ライトノベル」という軸だけはなかなか上手く交わらなかった。なぜかというと、「ライトノベル」もまた、手軽に読めて気軽に楽しめるという「構造」を指し示す軸だからだ。
この「手軽に読める」という「構造」と、「謎を提示する」という「構造」は明らかに両立しにくい。
この状況を打破したのが、ひとつには日常の謎であり、ひとつには異世界ミステリである。
日常の謎は、事件そのものを軽くし、トリックもさほど重厚でないものを使うことで、読書感覚をライトノベルに近づけた。また、主人公達の青春、人間模様という二つ目の軸を用意することで、そもそも謎を解こうと意識しなくても物語自体を楽しめる構造があり、これによってミステリとライトノベルの二軸を両立させている。
異世界ミステリは、「ライトノベル」という分類のもつ意味を「構造」ではなく「舞台」へと無理やりシフトさせたと言える。つまり、ライトノベルが数十年の歴史の中で発達させてきた「ラノベ的ファンタジー世界」を用いることでライトノベルファンに対する敷居を下げ、とっつきやすくした。この場合、中身は完全にミステリの構造なので、ある程度重厚な謎を用意することができる。この例には「六花の勇者」などがある。(ただし異世界ミステリにも「折れた竜骨」のようにラノベ的ではない重厚なファンタジー世界を用いるものもある。)

以上で、現代ミステリの抱える5つのキーワードを紹介した。
これらに対してどう付き合っていくのかというのが、今後出版されるミステリを読むにあたっての一つの楽しみとなるだろう。
そして、今後初心者に対する敷居は間違いなく下がっていくと思う。その理由は、多種多様な新ジャンルのミステリが開発され、それらに対しては全員スタート地点に立っているからだ。
そういうものを読むときに、少しだけでもこれらのキーワードを意識するだけで楽しめるのではないかなと思う。
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