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【追記からネタバレ】「インシテミル」の読書感想

インシテミル (文春文庫)
米澤 穂信
文藝春秋
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ついにこの人。

米澤穂信さんは、私が敬愛する作家の一人だ。
「氷菓」に始まる「古典部シリーズ」に加え、「さよなら妖精」「ボトルネック」「犬はどこだ」「追想五断章」「儚い羊たちの祝宴」「折れた竜骨」などなど好きな作品には枚挙に暇が無い。複数作家の短編集「時の罠」に収録された「下津山縁起」も読んだし、米澤さんが編纂した短編集「世界堂書店」も全て読破した。(しかし。なぜか「小市民シリーズ」だけは一度も読んでいない。不思議と食指が伸びない)

もちろんこれらの読書感想は書くことになるだろうが、何を最初に書くかと言うことで、しばらく悩んだ。悩んだ上で、ふっと思ったのがこの作品だ。
先陣を切るなら、「インシテミル」しかない。
この作品には米澤さんのスタンス、スタイル、知識の全てが詰まっている。
ネットで検索すれば、それなりに批判も見つかるだろう。
設定にご都合主義がある、ラストが雑、トリックがしょぼい、映画化が悲惨etc……。
個人的には、とある重要キャラのバックボーンが全く見えず、行動原理が最後までよくつかめないことは残念ではあった。
このように、欠陥が無いとは言い切れない小説である。
だが、文句無く面白い、楽しめる小説でもある。
ここではその「楽しめる部分」に焦点を当て、特に私がどう楽しめたかというポイントを3つに絞って紹介したいと思う。
「インシテミル」を読んでみて楽しめた方も、楽しめなかった方も、なるほどこいつはそういう楽しみ方をしたのかと思ってもらえれば嬉しい。

私の思うポイントは以下の3つ。
 ①いかにも「ミステリ的」なガジェット
 ②主人公の趣味に関する丁寧な伏線
 ③ミステリ畑に対する皮肉的な展開

以下、順番に見ていこう。②からはネタバレを含むので、十分に注意して欲しい。なお、映画版は原作と全く内容が異なるので、読んだうちに入らないぞ。


①いかにも「ミステリ的」なガジェット
米澤さんが宣言したとおり、舞台は古典ミステリの定番、クローズドサークル。「暗鬼館」という閉鎖された環境で12人の被験者が殺し合い、疑心暗鬼になっていく。
そんないかにもな状況を補強するように、暗鬼館のあちこちには古典ミステリを髣髴とさせるガジェットが配置されている。
壁に貼られた館の見取り図。円卓に置かれた12体のインディアン人形。一人に一つ与えられる〈おもちゃ箱〉の中には、殺害方法の異なる凶器。その凶器の出典を示す〈メモランダム〉。そしてカードキーの裏の〈十戒〉

特にこの〈メモランダム〉は、なかなか秀逸だ。
たとえば主人公の凶器「火かき棒」には、このような〈メモランダム〉が添えられていた。

〈殴殺〉
 人類が暴力をふるいはじめたとき、最初の武器は五体だっただろう。
 おそらくその次が、棒だったに違いない。
 極めてプリミティブ、洗練のかけらもない原始武器。それだけに、激情を発端とする殺人では、しばしば棒が登場する。
 その中でももっとも印象深いのは、なんといっても「火かき棒」だ。多くの、あるいは全ての部屋にマントルピースが備えられた洋館を舞台とすればこそ、火かき棒はつねにそこにあり、殺人者の手に握られ、多くの命を奪ってきた。
 そして、ミステリ史上もっとも有名な「火かき棒」は、おそらく『まだらの紐』に登場したものだろう。
 さて、この棒を手にしたあなたは、これを曲げ、そして戻すことができるだろうか?
 できなくても構わない。曲がっていてもいなくても、その一撃が殴殺に足ることに違いはないのだから。


このように、各凶器には異なる〈○殺〉の題と、それに関わる薀蓄、そして最後には関連のある有名なミステリ小説のタイトルが記され、〈メモランダム〉は終わる。
こうやって様々なガジェットを散りばめて、読者をワクワクさせておきながら、実はこれらの意味は違うところにある。終盤、この〈メモランダム〉がヒントとしての重要度をどんどん増していく流れは圧巻だ。

「〈撲殺〉も〈殴殺〉ももう出ている。その上で、となると……。もしかするとベントリーか?」



②主人公の趣味に関する丁寧な伏線

主人公はとある趣味を持っていて、それが終盤に重要な意味を果たすのだが、これに関する伏線が相当丁寧に貼ってある。本来のトリックよりも、米澤さんがメインとしたかった謎はこっちなんじゃないかと思えてくるほどだ。
以下、終盤のネタバレを含むので、追記とする。
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マリオメーカー学会の研究成果サーベイ【電子計算機部門】

はじめに


本投稿は、日進月歩の進化を続けてきたマリオメーカー計算機の主要な発展を辿り、その全体像を把握することを目的としたサーベイです。
マリオメーカー計算機とは、任天堂より発売された「スーパーマリオメーカー」のコースエディット機能を用いて、足し算を始めとする主要な演算を自動で行うコースのことを指します。
これらの動画の正確な理解には、どうしてもある程度の予備知識が必要となるでしょう。もちろん、それらが無くてもある程度は把握できるように努めますが、より深い理解を求める方は、最低でも二進数と論理回路の知識を必要とします。なぜなら、通常のコンピュータと同様に、マリオメーカー計算機でも0と1の二進数を利用し、論理演算を再現する構造をとるからです。
これらについては、以下にWikipediaのページを挙げますので参考にしてください。
加算器 - Wikipedia
また、発展の主要な部分のみを追っているため、どうしても全ての動画を紹介できないことをお許しください。
以下、「だ・である」調に統一します。

1.黎明期


マリオメーカー学会に初めてマリオメーカー計算機が発表されたのは、out of survice氏の以下の動画であった。

この動画では、コース中に配置されたブロックを破壊することで0を、破壊しないことで1を入力する形式をとっている。出力は、コースに甲羅を走らせ、その甲羅がハテナブロックを叩いたか否かによって表現した。
この形式では、AND演算やOR演算が視覚的に表現しやすく、これらを使った単純な論理回路の構成も容易であった。
しかし、半加算器に不可欠であったXOR演算がひとつの入力のみで表現できず、二箇所に同じ入力を行う必要があるという致命的な欠陥があり、それはそのまま全加算器に引き継がれた。

しかし、2日後にmuratsubo氏が新たな動画を発表し、この欠陥を改善した。

この動画では、無限にクリボーの沸き出る土管を設置し、その土管をブロックで塞ぐという独自の入力方式をとった。ブロックを破壊し、クリボーが沸き出る状態が1で、そうでない時が0である。
この構想の重要なところは、複数体のクリボーがコースを横断するクリボーフローを作ることにより、一箇所の入力で二箇所以上の操作を行うことが可能になった点である。これにより入力の欠陥は改善された。
また、出力もこのクリボーフローがどの位置から流出するかという視覚的にわかりやすい形をとることに成功した。
しかし、同時にコース全体が長くなることで、マリオが少しづつ動く必要があること、そして、画面外のクリボーや仕掛けが消えるもしくは正常に動作しないという問題点も発見された。この段階における対処としては、画面の切れ目に新たな土管を配置し、その入り口をクリボーフローによって操作することでフローを引き継ぐ方法を取っていた。
またこの動画の重要な点として、他人の動画の欠点を修正して計算機の発展に寄与するという、以降のマリオメーカー学会全体の風潮を作り出したことも見逃せない。

これを受け、最初に動画を発表したout of survice氏が、自らのコースを最適化した。

入力の構想はmuratsubo氏のものをそのまま流用している。コースの長さによる問題についても、対処は変化していない。
ここでの独自性として、出力方式の簡易化が挙げられる。ノコノコフローにコインを所定枚数獲得させることで、獲得コイン数による10進法表記を出力とした。この方法は最近の計算機には採用されていないが、優秀ではあり、いずれ顧みられる可能性もある。

ここまでがマリオメーカー計算機の発見~基礎的な考え方の確立までを追った、黎明期といえる部分である。

2.桁数更新期


この時代では、マリオメーカー学会の英雄とも言うべき人物が複数登場し、次々と桁数の革新を行った。
まず大幅に技術革新を行ったのはブルー氏の発表した以下の動画だ。

この動画では入力方式に砲台からメットを発射する形式を用いており、出力方式にはout of survice氏のコイン獲得枚数方式が採用された。メット発射方式はクリボーフローと違って動作が速く、これ以降のスタンダードとなる。
この装置には全体に様々な工夫が見られるが、回路の小型化、回路の端に到達した甲羅を次の回路への入力とする構想、マリオを自動コンベアに乗せることによる画面制御の三点が特に重要である。
これらの特長により、装置を繋ぎ合わせて16bitまでの計算を可能にした。
ただし、桁数の増加に伴って、入力をひたすら手作業で行うことに限界が見え始めた最初の動画でもあった。

少し補足をする。
この時代の特徴として、半加算器や全加算器をXOR演算とAND演算の繋ぎあわせで作成する古典的な方法を棄却し、独自に「加算器の挙動をする回路」を再構成する工夫が盛んになったことがある。
基本的な構想はブルー氏の考案した以下の方法をとる。
・下のメットはそのまま下の回路を走る。
・上のメットは「穴」に落ちて下の回路を走る。
・ただし、メットが下の回路を通ると仕掛けが作動して上の「穴」を塞ぐ。このため両方のメットが発射された場合は上のメットがそのまま上の回路を走る。
・メットが上の回路を走ると、仕掛けが作動して下の回路を進行不能にする。このため両方のメットが発射された場合は上のメットが上の回路を通ることで、下のメットが止まる。
この一連の挙動により半加算器を完全再現する。従来の方法に比べて回路が大幅に短く、一画面で1bitの加算が行える。これにより画面外の挙動に関する問題が一時的に解決された。

次は、未だに第一線で活躍する研究者、doppanpan氏の以下の動画である。

この動画ではブルー氏の方法を最適化し、装置の大幅な小型化に成功した。
これにより32bitの計算が可能となる。
最適化の方法として、いくつかの雲パーツを空間に設置し、その中にメットを飛び回らせることで二次元的に計算を行う「クラウドコンピューティング」が初めて発表された動画でもある。
また移動砲台により装置の挙動を同期させるというアイデアを利用している。

これも少し補足をする。
半加算器の原理としてはブルー氏の方法をクラウドコンピューティングに置き換えただけだが、全加算器の原理として、「メットの相殺」という画期的な挙動が採用されている。これは二つのメットがぶつかると、その両方が消滅するという挙動である。
実は、前述のブルー氏の動画でこの挙動は発見されていた。ブルー氏の研究では相殺を利用してXOR演算を再現できる可能性を指摘していたが、回路の長さのため二つのメットが同期せず、実用を諦めざるを得なかった。しかしdoppanpan氏は移動砲台によって強制的に甲羅を同期させる方法をとり、実用化に成功したのである。

またこの発表により、マリオメーカーの1コースに使うことの出来るパーツ数上限と言う新しい問題が初めて指摘された。
以降、研究者たちの間ではこのパーツ数上限の中で装置を簡略化し、桁数を増加させる挑戦が進むことになる。

4日後、再びdoppannpan氏が動画を発表。これが大きなターニングポイントになった。

この発表では、別の学派である「普通に面白いコースを作って遊ぶ」動画のひとつから着想を得て、入力を何度でもやり直せる「無限スイッチ」の開発に成功した。
この「無限スイッチ」を入力1、入力2、桁上がり入力の三箇所に利用し、一定周期で発射されるメットが三つの無限スイッチによって軌道を変える装置を開発。ここで重要な点は、入力の状態によって桁上がり入力のスイッチを叩き、次の桁に繋げるようにしたことである。
これにより、ひとつの全加算器を半永久的に使いまわす構想を実現した。
出力方式としては、メットの軌道に対応して画面上部にブラックパックンまたはPスイッチのどちらかが流れてくる方法をとった。それがそのまま画面上部に整列していくことで、視覚的にわかりやすい出力表示を得たことは大きい。
しかし、今度はそのブラックパックンとPスイッチの同時出現数上限に阻まれ、34bitの計算に留まった。

また、この発表は、思想的な部分でも重要なターニングポイントになった。
動画の冒頭で、現状のマリオメーカー計算機の問題点を3つに整理し、それぞれを以下のように名付けたのである。
・環境問題:回路の使い捨てによる資源の浪費(パーツ数制限に関する問題)
・人権問題:配管工の劣悪な労働環境(制限時間に関する問題)
・健康問題:出力の見にくさによるストレス(出力表示に関する問題)
この定義付けは研究者の間に、以降の発表で何を目標にすればよいかという指針を与えた。

次に桁数を更新したのは、faidra氏のこの動画である。

この発表ではdoppanpan氏の無限スイッチを使った装置をそのまま流用しているが、出力を工夫することで45bitの計算が可能となった。
予めワンワンを殺害し、それにより残った「ワンワンの杭」がパーツ数に数えられないことを利用して、ブラックパックン側の追加出力に使ったのである。
残りの出力に使うブラックパックンも、ワンワン殺害後に遅延的に生成することで配置数を増やした。
またこの動画で、出力の最終パーツに達したことをEOF(End Of Flowers)と呼ぶ慣習が定着した。

これに研究欲を煽られ、みたびdoppanpan氏が動画を発表。

この動画では、ファイアフラワーの配置数が他の仕掛けとは別にカウントされる「夢の資源」であることを利用している。
この資源は他の仕掛けに重なってしまうという重大な欠点を抱えており、その性質のためにコンベアで運搬することが困難であった。
しかしdoppanpan氏はこれをPスイッチの上に乗せて運搬するという「生け花メソッド」を開発、問題に対処した。
それでもなおコースの時間制限の問題や、65桁を越えたフラワーが溢れる「スタックオーバーフラワー」の問題などが残ったが、この時点で64bitの計算を可能にしており、桁数についての競争はひとまずの収束を見ることとなった。

3.研究期


ひとまずの完成形を見たことで、研究者たちは別の問題に目をつけた。
doppanpan氏の提案した三つの問題、環境問題と人権問題と健康問題である。

まず、そー氏が出力表示の改善を試みた。

これは出力を十進法とするための基礎研究に位置づけられる。
それまでの発表では二進数による表示を人間が読み取る必要があり、なんらかの十進法の表示方法が求められていた。
この発表ではそのうちのひとつの案として、「10進カウンター」と呼ばれる表示方法を考案。
実際にルート2の値を求める(これはマリオメーカーの物理的条件を利用して計測したため、ルート演算が可能となったわけではない)ことで、10進カウンターの効果を実証した。
ただし、これを加算器にどう組み込むかという議論には至っていない。

また表示問題に関しては、ohara氏による7セグ回路(二進数→十進数のデジタル表示に変換する回路)の基礎研究も発表されており、こちらも今後の実用化に期待される。


次に、計算速度に関する基礎研究をfaidra氏が発表した。

これはPスイッチがブロックを一斉にコインに変換する挙動を利用して十個のメットを同期させ、並列計算を行わせる構想である。
ブルー氏の発見したメットの相殺を効率よく用いて、計算速度の短縮ができる可能性を指摘した。
実際にこれを使った回路をfaidra氏本人が実装している。

桁数は最高記録の64bitに届かないものの、計算速度については大幅な革新といえる。

次に再びそー氏が動画を発表。

これまでの計算機では入力と出力で0と1を表す方式が異なっていたことを問題視し、これらを統一する方法を考案した。
その中で、ブラックパックンとPOWブロックの物理的挙動が異なることを発見。これを入力方式として加算器を実装し、出力にもこれらを使うことでフォーマットを統一した。
また、出力結果を回収することで永久的に加算器が動かせる状態を実現した。
さらに、出力結果をコピーする別の回路を作成。これらを組み合わせることで「計算結果を再び入力に代入する」再帰計算が可能であることを示し、具体的にいくつかの漸化式からその数列の値を求めて見せた。
そー氏は16日後にこの回路を小型化・高速化し、時間制限の壁を緩和している。


まとめ


マリオメーカー計算機は日進月歩の世界であり、これからも技術革新が続くことが期待される。
現時点で、64bitの加算が可能であり、桁数は少ないが乗算回路も発表されている。

今後の方針としては、以下のようにまとめられるだろう。
・パーツ数上限、時間制限への対策
・出力表示の改善
・ひとつの装置の再帰的利用や複数の装置を繋ぐことによる、より複雑な演算の実現
・上記を満たしながら桁数をどこまで落とさずに実装できるか
これらの課題については先行する基礎研究が複数発表されているため、それらをどう活かすかという議論になるだろう。
また先日、マリオメーカーのアップデートにより、中間地点など新たな要素が追加されたこともあり、より斬新な装置の開発も待望される。
マリオメーカー学会の今後の発展に期待したい。
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カタザトさんの「ファンタジー論」を考察してみた

小説投稿サイト「小説家になろう」で活躍中のカタザトさんという方が、面白い議題を提起なさっていた。

ファンタジー論

SFはほぼ100%世界設定と物語上の核がリンクしている。~~中略~~
ファンタジーはその点、現実を離れて(SFよりも更に)自由に世界を設定できるにも関わらず、そうした構造になっているケースが少ない。



私なりに内容を再提起させていただくと、つまりこういうことである。
物語の舞台というのは、通常メインの書きたいものを描く為に最も適したものが設定される。恋愛が書きたければ学園ものにしたり、バトルが書きたければ戦闘力が意味を持つ舞台にするように。
その中で最たる例がSFである。宇宙だとか時間移動だとか様々なガジェットを使いたいがために、SFという舞台が利用される。まずSFが書きたいのではなく、宇宙戦争が書きたい、だから宇宙航行技術がないといけない、じゃあSFにしよう!だとか、超能力が書きたい、超能力の科学的根拠が必要だ、じゃあSFにしよう!という流れで。
このような時に何故SFが選ばれやすいかと言えば、SFはかなり自由度の高い世界設定ができるからである。
しかして、SF以上に自由度の高いはずの異世界ファンタジーというジャンルでは、このように書きたいメインの何かが先にある場合が少ない。どちらかと言えば、まず異世界ファンタジーが書きたい!があって、じゃあ話のメインははどうしようか、剣にしようか魔法にしようか、成り上がりにしようか英雄譚にしようか、となっている人が多い。

このあたり、カタザトさんは非常にわかりやすくフローチャートにしている。

「こういう話がしたい、話の中でこういう仕掛けをしたい」

「そのためには、こういう設定にしたい」

「だからSF」



「ファンタジーが書きたい」

「こういう世界設定(テンプレートに沿う」

「こういう話」



SFとファンタジーで、話の作り方が逆になる、というわけだ。私も、これはなるほどと思った。

ここからは私見。
はっきり言って、現状の異世界ファンタジーと呼ばれる分野は、ほとんどトールキンの世界観だと思う。
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魔法があり、小人とエルフとドワーフがいて、みんなで旅をして……。
エルフもドワーフもトールキンが作った概念ではないが、今エルフやドワーフと聞いて我々が思い浮かべるイメージは、ほぼ100%「指輪物語」が初出のトールキン完全オリジナルである。
これに神話や現代ゲーム的リアリズムをちょこっと混ぜたようなのがほとんどだろう。その割合は作者や発表媒体による。最近の「小説家になろう」ではゲームの割合が高い。それも竜と精霊、MPにスキル、ギルドなど、ほぼガジェットは一致している。個々人が発想の元ネタにしたゲームはネットゲームなど色々あっても、源流をたどればおおまかにドラゴンクエストとファイナルファンタジーのどちらかに辿り着くだろう。そして、それらの開発者は(少なくとも間接的には)「指輪物語」に影響されている。

なぜ他の世界観ではいけなかったのか?なぜファンタージエンでなく中つ国だけがこうもモデルにされるのか?あるいはワードローブから飛ばされる、ライオンが神様の異世界ではいけなかったのか?

私には、ひとつの明らかな答えしか浮かばない。
つまり、「なんでも良かったが、たまたまそれがポピュラーになったから、余計にポピュラーになった」のだ。
思うにカタザトさんの示したファンタジー版のフローチャートには、もっと前の段階がある。
彼らはおそらく、まず「何でもいいから小説を書いて評価されたい」がある。
では何を書けばいいか。「とりあえず知り尽くした舞台に手を出してみよう」となる。
これはネット小説なら特に言えるが、相当合理的な選択だ。既に確立された世界観を拝借することは、少なくとも3つの利点を生む。
①固定層があり、評価を得やすい。
②書く側の手間が少ない。
読む側の手間が少ない。
特に③は注目に値する。読者にとっても、既に頭に叩き込まれた説明の要らない世界観で話を進めてもらうほうが、すんなりとストーリーだけを追えるのだ。
実際「指輪物語」では、1巻の半分を世界観の説明だけに終始する部分がある。ストーリーに入る為にそんなものを必要とする小説は重過ぎるだろう。

以下、ネットと紙媒体に分けて論を進める。

まずネットだが、これは何よりも「気軽に読めること」が売りの媒体だ。言ってみれば、無料の暇つぶしをすることが主目的。電車の数十分が耐えられればそれでいいのだ。それに沿った形で戦略を立てなければならぬ。
読むのに時間のかかる、あるいは頭を使うものはNGだ。世界観の説明をうんうん言いながら暗記するなどもってのほか。もはやなるべく説明ゼロが望ましいので、現代そっくりの世界観か、共通基盤の利用、つまり「なろう的ファンタジー世界」を使うことになる。
さらに、元々が暇つぶしのため、ちょっと更新が空くともう忘れられる。忘れるというか、元よりどうでもいいのだ。だから長く追ってもらうには、最低でも3日に1話は更新しなければならないとされる。そのためには書き手の方も長く時間を使っていられない。ストーリーもガジェットも、モジュール化したフリー素材をいかにうまく使ってオリジナル風に組み上げられるかというところに尽きる。これはやってみたら意外と高等技術なので、単純にテンプレ産業だと馬鹿に出来る話ではない。
こういった理由で、ネット小説では特に、「確立されたファンタジー世界」を使うのが有効である。魔法が書きたいのではない。ファンタジーが書きたいのでもない。小説が書きたいのだ。

一方で紙媒体だが、これも既に確立された世界観を使うことで書き手・読み手双方の負担を減らすという意味合いは変わらない。
が、それに加えてファンタジーというジャンルには、「憧れ」という要素が強いと思う。
SFやミステリの場合、大先輩も含めて全ての同業者がライバルのように競い合い、「追い抜いてやろう」という面がある。しかしファンタジーでは、皆自分のかつて読んだ話を師匠として、それに「追いつこう」とする面が大きい。まあこれはあくまで私見だが。
その違いが現れているのではないだろうか。追い抜く場合は、先人と同じことをしてはいけない。画期的・革新的なものを書かなければならないから、独自のガジェットやテーマを開発して、それを生かすための舞台設定を選ぶ。追いつく場合は、先人の道をなぞるのが最も効果的だ。

それではファンタジーの場合、カタザトさんのいうように「こういう話が書きたい→だから異世界ファンタジーが適している」という流れはないのだろうか。
私は、ひとつだけその流れを知っている。
まさにカタザトさんが得意とする、「異能ミステリもの」である。
魔法をガジェットとしてミステリに取り込み、新しい分野を開拓したい。だから、舞台は魔法のある異世界が良い。
こういうトリックが使いたい。だから、こういう魔法があればいい。
推理の為に魔法に制限が欲しい。だから、こういう理屈があればいい。
全て、「書きたい何か→世界設定」の順だ。だからこそカタザトさん作の「ファンタジーにおける名探偵の必要性」は、ありがちな設定のゲーム世界とならず、世界の根元まで綿密な設定が備わったオリジナルの世界観になった。
同様に魔法世界でミステリを描いた、米澤穂信さんの「折れた竜骨」なども、ありがちなトールキン世界とはかけ離れた魅力的な世界観だった。
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その原動力は、やはり「新しい小説を開拓したい」という野心、つまり「追い抜く」気持ちだったと思う。
ネット小説にも、ファンタジーというジャンルにも、この気持ちが欠けているように私は感じる。
「追いつく」ではなく「追い抜く」、その気持ちを持った作家が作品を作っていかないと、どのジャンルも衰退する。ファンタジーにもそのような作家が増えることを期待したい。
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【超々ネタバレ】「塔の断章」の読書感想

新装版 塔の断章 (講談社文庫)
乾 くるみ
講談社 (2012-11-15)
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私は乾くるみに完全に敗北していた。

「塔の断章」は、ミステリと言っていいのか微妙な部分はあるが、まあミステリである。
ミステリと言えば、読者は作者との対決をするつもりで望むという楽しみ方がひとつの主流だ。私はミステリと明示されている小説に対しては、いちおうその立場で臨むことにしている。
さて、作者はあの「イニシエーション・ラブ」で有名な乾くるみ。そう、私が何回か前の読書感想で「トリックを見抜くことができた」などと勝利宣言をかました「イニシエーション・ラブ」である。
まあ、なんというか、それが今回の読書感想の伏線になっていたわけだ。
以下、「塔の断章」のネタバレを全開全力で含むので、未読の方は十分に注意してもらいたい。まあ読むなとは言わないが、私と同様の楽しみ方をしている人間にとっては、その楽しみの9割は削ぎ落とされると言っていい。
あと、もしかしたら勘のいい方にとっては、「イニシエーション・ラブ」のヒントにもなってしまう可能性が微妙にあるので、その辺をご了承の方のみ先に進んでいただきたいと思う。


まずこの本の構成だが、「塔の序章」「塔の断章」「塔の終章」の3部から成っている。
「塔の序章」では、名前の不明な女が名前の不明な男と会話をして、塔の最上階から突き落とされる。
「塔の断章」は、ある女が塔の下で落下死しているのを発見するシーンから始まる。そこで場面は変わり、その女が妊娠していたことについて、誰が妊娠させたのか、また、突き落とした犯人は誰かという調査の依頼を、主人公が受ける。また場面が変わって、主人公とその女との出会いが描かれる。
このように、次々と場面を変え、主人公の周囲の物語を描写していくのが「塔の断章」パートの特徴だ。ひとつひとつの場面は短く、時系列もばらばらとは言え、事件の流れが適度にわかりやすく、適度にわかりにくい程度に再構成されている。

私は、主人公の性別が女には見えるが、よく読めば曖昧に描写されていることに気付いた。
そう、気付いてしまった。いや気付かされたのだ。
どうせあの「イニシエーション・ラブ」を書いた乾くるみだ。主人公の性別を女のように見せかけ、実は男だったとする叙述トリックである可能性は十分ある。その場合は、女を妊娠させたのは主人公。突き落としたのも主人公ということもありえる。
その可能性も頭に入れて読んでおこう。これでこの小説には騙されないな。
そう曖昧に思っていた。読書中ずっと、自分は騙されていない気でいた。

時系列がばらばらであることも、何かの叙述トリックを際立たせるための意図だろうとしか考えなかった。「何かの」と言っても、自分の中では性別誤認トリックが最有力だった。ほとんどそれしか頭に無かった。

あれほど、叙述トリックは必要以上に意識しないと決めたのに。

完全に目が曇っていた。今読み返せば、気付くためのヒントはどこにでもあった。
自分で気付いた男女誤認トリックに囚われて、何もかもを都合のいいように読んでいた、

終盤、「とある描写」があり、主人公の性別が女(!)であることが完全に確定する。
その時の私は、というと。
ほとんど何も思わなかったのだ。
「なんだ。叙述トリックじゃなかったのか。ふーん」
といった具合である。想定していたひとつの可能性が消えただけ、という感じで、それがどれほど愚かなことか私はまだ気付いていなかったのである。

そして「塔の終章」。
(次の文は本当に重大なネタバレなので十分に覚悟してほしい。)

「塔の序章」で突き落とされた女は主人公であり、「塔の断章」の時系列ばらばらパートは主人公の走馬灯だったということを読者は知る。

つまり、時系列は、本当は狂ってはいなかった。
「塔の序章」から始まって「塔の終章」まで、完全に一本の糸で繋がった主人公の主観を読んでいたということだ。
だが、その時の私は、やはりほとんど何も思うところが無かった。
「ほう、走馬灯とは面白い構成だな」
といった具合である。ドアホだ。真に救いがたい。

本当に信じがたいことだが、なんと私は、読み終わってもこの小説に勝ったつもりでいたのである。
男女誤認は警戒しておいたけど、違っていたのでなんともなかった。
時系列入れ替えによる何らかの誤認も警戒して読んでいたが、何もなかった。
主人公が男である可能性と女である可能性は両方考えていたのであって、特に「塔の序章」で突き落とされたのは最初に落下死した女とは別人である可能性も睨んでいた。それが主人公である可能性も除外していなかったので、ネタ明かしにはほとんど驚くところはなかった。
つまり私の勝ちである。
繰り返すが、本当に信じがたいのだが、どうも本気でこのように考えていたようなのだ。

何のことはない。私は単に「想定しうる全ての状況説明」を並べて、そのうちのひとつが当たったと喜んでいただけなのである。

後でネットでレビューを読み、ひっくり返るほど驚いた。
「男女誤認の叙述トリックだと錯覚させること」および「時系列に関する叙述トリックだと錯覚させること」、それこそが「塔の断章」に仕掛けられた真の「叙述トリック」だったのだ。
これを「叙述トリック」ではない、とする向きもあるだろう。確かに真の定義からは外れているかもしれないが、まさに読者はこの本の「叙述」に引きずられ、読者のみが騙されると言う点は叙述トリックの本質的な条件そのままである。何より、真実が判明した瞬間に物語の位置や構造が完全に逆転する構成は、叙述トリック独自の特徴とも言えよう。
新本格時代の叙述トリックの波に見事に乗っかり、それを逆用する構想。
私はそれにまんまと引っかかり、その挙句に「全パターン想定していたから大丈夫」なんてことを抜かしていたわけだ。
ちゃんと読んでいれば、主人公が「本当に」女であること、さらに言えば構成が走馬灯を模していることすら、ヒント程度のものは見つかるようにできている。しかし自分で見つけたしまった偽の叙述トリックに拘泥すれば、気付けない。非常に巧妙だ。

おそるべきは乾くるみ、これより後に「イニシエーション・ラブ」を出している。つまり先に叙述トリックの波をひっくり返すようなことをしておきながら、その後で大仰な叙述トリックをちゃっかりやっているのである。これは真似できない。私はようやく、乾くるみが遥か高みにいたことに気付いた。

と言いながら、「嫉妬事件」なんていう強烈な作品を出していたりもするし、本当に捉えどころのない人だなあ。
また私にとって、「悔しい」作家リストが増えてしまった。
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【微ネタバレ?】「ライオンハート」の読書感想

ライオンハート (新潮文庫)
恩田 陸
新潮社
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いつもあなたを見つける度に、ああ、あなたに会えて良かったと思うの。いつもいつも。会った瞬間に、世界が金色に弾けるような喜びを覚えるのよ。


物語で目が潤んだ経験は、数えるほどしかない。
本当に数えてみたら、たったの6回だった。

最初に感想を書いた、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』。
BUMP OF CHICKENの『車輪の唄』の歌詞。
『ワンピース』の、メリー号が燃えるシーン。
ボカロ曲の『サイハテ』。
涼宮ハルヒシリーズの二次創作SS『鼻歌とチョコレートケーキ』。

そして、この『ライオンハート』。

この内5つまでは、私の胸を突き動かしたものがなんだったのか、はっきり説明することができる。それは悲しさであり、寂しさであり、切なさである。
簡単に言えば、どれも別れの物語であり、別れの余韻を描いた部分に私は弱かった。
余韻の中に思い出が詰まっていて、感情が詰まっていて、そのひとつひとつの走馬灯を私自身が一緒に追ってしまう感覚に弱かった。
最後に同時にいられる瞬間に、「ありがとう」「幸せだった」と言って笑顔で未来へと歩き出すようなシーンに弱かった。

しかし、最後のひとつ『ライオンハート』だけは、自分自身何に感動したのか、さっぱりわからなかった。どのシーンのどの一行が胸を突いたのかと言われれば、どうもそのようなシーンがない。強いて言えば、冒頭に掲げた一節であったり、次の台詞は印象に残り続けている。

いつも、うれしかった。
覚えて、いてね。
わたしのエドワード。わたしのライオンハート。


しかしこれらは第一章にあたる箇所に出てくる、かなり序盤の台詞なのだ。もちろんこの箇所を読んだ瞬間に急に胸が締め付けられることもなかった。
最後まで読み終わってみて、何と言っても伝わらないような強烈な読後感に襲われて、それからしばらくしてこの2つの台詞がふっと頭に立ち戻ってきたのだ。そして、なんだかわからないままに私の目は潤んでいて、この台詞を一生忘れられなくなった。
それが、この本に対する一度目の、私の読書体験の全てである。

この本は母親からの借り物であった。そこで、私はもう一度この本を借りて読むことにした。読書感想を書くなら遅かれ早かれこの本は欠かせないと思ったからだ。
やはり再読は凄い。プロローグから既に感動が襲ってきた。

この本は、5つの短編と、それに付随するプロムナードと呼ばれる小編と、2人の男女で構成されている。
5つの短編は時代も国も、物語としての形も全く異なるばらばらなものだ。けれども描かれるのは常に同じ男女。エドワードと、エリザベス。
2人は若い男女であったり、老齢であったり、片方が少女だったりするし、生まれも境遇も様々ではあるのだが、「同じ」エドワードとエリザベスである。生まれ変わりのように、あるいは先祖返りのように、別の時代の記憶をフラッシュバックさせながら人生を歩む。時にはその時点より後の時代のエドワードや、自分自身の未来の記憶を見ることさえあり、単純に一本の線で結べるというわけでもない。
5つの短編に唯一共通するのは、2人が出会うということ。それだけだ。
2人が長い年月をかけて、一度だけ出会って、そして別れて、その短編は終わり。
『ライオンハート』は、言ってみれば、それだけの物語なのだ。
でも、それだけの部分を、何よりも壮大で、美しく、羨ましく、運命的に、そして切なく書く。

向き合って立っている二人は、一幅の絵というよりも、神話の彫刻のように見えた。
「エドゥアール、あなたなのね。今度もまた会えたのね」
娘は感きわまった表情で青年を見上げた。青年も、ただひたすら無言で彼女を見下ろしている。
「やっと、会えた。私のエリザベトに。何年も待っていた」


初読のように目が潤むまではいかなかったが、胸を締め付けられるような切なさは健在で、逆に冷静になった私はようやく、この本にこうまでも気持ちを動かされる理由を見つけることが出来た。

この物語は、生きる意味を描いている。

この本を読んだ時、私は大学生になったばかりだったはずだ。その年代によくあるように、私は生きることに不安を持っていたと思う。何のために生きるのか。死んだら何が残るのか。とりあえず人生を進んで、最後まで生きて何があると言うのか。今死ぬのと後で死ぬのと何が違うのか。
そんな私にとって、この物語は強烈と言うどころのものではなかった。
エドワードの人生は、誇張でもなんでもない「人生の全て」は、まさに「エリザベスに出会う」、本当にそれだけのためにあるのだ。
出会ってしまったら、それで終わりだ。
でも、その「出会う」一瞬が、それまでの人生を何百倍にもしたような「金色の喜び」で満たされるのだ。
エドワードにとってはそれで十分であり、それが生きる理由。生きる価値なのだ。
これが私には物凄く鮮烈で、強烈だった。そういうふうに生きる意味を与えられることが羨ましかったし、憧れたのだ。だから最初に挙げた2つの台詞ばかり印象に残っていたのだ。

将来の夢なんて大層なものはなくてもいい。そこそこの夢をかなえて、そこそこの暮らしに満足して、少数の大切な人を作って、手の届く範囲の幸せを追えばいいじゃないか。

昭和のビッグドリームな時代が終わって、このタイプの考え方が平成の主流になった部分はあるだろう。私も、そちらの人間と言える。
それを、大人の社会は否定する傾向にある。もっと夢を持て。生まれてきた以上使命がある。
それは私にはどうしてもわからなかった。社会を良くするとか、そういう方向に生まれてきた意味があるようには到底思えなかった。
その中で目の前に現れた『ライオンハート』は、どちらの考え方とも微妙に違った。

世界にたった一人だけいる大切な人を見つけて、その人と出会う。それを人生と呼ぶ。

そんな感じだった。
私はこの強烈なシンプルさに胸を打ちぬかれたのだろう。
当時はそんな風には分析できていなかったが、それが染み込むように入っていったのだ。
それが理由なのかは知らないが、この本を読んだくらいの時期から、考え方が変わって妙に生きやすくなったのは覚えている。

私も、『その人』を人生と定義しよう。
その人生を最後まで進んでみよう。
今はそう思っている。
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水属性ってなんだ???

某所で書いた内容の焼き直し増量版。
なんかこの文章見たことあるなと思ったら、たぶんそれは私なので、多めに見てね。

魔法とか異能力の、属性、について。
アニメ、漫画、ゲーム、ラノベ、色んなところに出てくる概念である。
細かいところは違うが、基本的な設定は同じ。
だいたいと言った具合に分かれ、各キャラごとに得意な属性や苦手な属性がある。あるいは、一人につき一つの属性しか操れない。
この、得意とか苦手とか全く操れないっていう基準として属性なる区分が働いている、というのは重要な事実だと思う。単に分類するだけならどうとでも分類してくれていいのだが、その分類によって実際に個人ごとの能力発現に差が出るというのなら、その裏には、そういった差を生み出すなんらかの理屈が存在しているはずである。

ところで、そのような得意とか苦手という差が生まれる一般的な理由はなんだろう。
例えば、「Aさんは数学が得意だが、国語が苦手です」とか、「鉄棒は得意だが、マット運動は苦手です」とか、「アクションゲームは得意だが、パズルゲームは苦手です」と言った場合、その得意と苦手を分けるものはなんだろう。
あまりにも馬鹿げた質問だろうか。
当然だけども、何かを得意になるためには、習得すべき技術や考え方、コツといったものがあると思われる。あるいはそれが身につきやすいかどうかという才能の問題もあるだろう。そのような身につけるべき技術やコツが、ジャンルごとに違うことによって、得意と苦手の差は発生する。
例えば、論理的感覚を磨くことで数学が得意になるが、それは別に国語には関わらない(本当にそうかは置いておく)。だからAさんは数学だけを得意になり、国語は得意にならなかった。

魔法の属性についても、同じような考え方ができるはずだ。
つまり、炎属性のとある魔術師は、炎属性の魔法を司るための何らかの技術や考え方やコツを習得した為に、炎魔法が得意になった。努力したかもしれないし、才能があったかもしれないが、とにかく何かを習得した。
しかし彼は雷属性の魔法が使えない。なぜかと言うと、雷属性の魔法に必要な何かを習得していないから。
つまり、数学における論理的感覚を習得したが、国語における言語的感覚を習得できなかったAさんのように、彼は炎属性における何かを習得したが、雷属性における何かを習得できなかった。
何かとはなんだろう。それはわからないし、世界によるとしかいえない。
ただ重要なのは、その「何か」は、複数の属性に共通する何かではないということだ。
もしかすると、魔法自体を使うために全員が習得すべき何かはあるかもしれないが、その場合は「魔法全体のための何か」+「炎属性のための何か」が必要だろうから、今は後者のみを考える。

確かに火を起こすのと電気を起こすので、必要なコツが違うというのは自然に思える。片や熱を発生させ(もしくは化学反応を起こし)、片や電子を動かしているのだ。
私の観測範囲では(一度この言葉を使ってみたかった)、漫画やゲーム、ラノベなどでそれぞれの属性では以下のような現象を担当している(あえて水属性を除いている)。

炎:発火、燃焼、温度上昇、火の玉を飛ばす
→火の玉を飛ばすのは単に杖を振る挙動などで物理的に飛ばしていると考えられる。本質的には熱の発生。
風:突風や竜巻の発生、かまいたち
→かまいたちは真空によるもの。つまりどれも空気を移動させている。本質は気体の操作か。
雷:電撃、麻痺による攻撃
→麻痺は電気によって筋肉を刺激している。いずれも電流の操作。
地:石や岩を飛ばす、局地的地震、地割れ
→ゲームによっては自分で投げたり四股踏んでるように見える。いずれも物凄い怪力があれば物理的に可能なので、それを実現する身体能力の強化が本質か。もし離れて操作しているなら、サイコキネシスに近い。
木:植物の発生、操作、寄生
→植物を急成長させる能力と考えるといずれも説明がつく。ある程度成長方向を制御する技術も必要。
光:発光、浄化、回復
→宗教的な力を使っていると思われる。神との契約によるものと仮定できるが詳細不明。
闇:暗闇の発生、悪魔召喚、呪い
→こちらも逆の意味で宗教的な力を使っていると思われる。契約したのは悪魔か。

こうして見ると、それぞれ独自の技術領域を持っていると改めて感心する。
なお、私が独自に考案した「エネルギー変換モデル」では、炎属性が熱エネルギー、風属性が運動エネルギー、雷属性が電気エネルギー、などとそれぞれ異なるエネルギー状態を担当していて、魔力をそのエネルギーに変換することで現象を起こしていると説明できる。
このモデルはゲームにある「MP方式」と「エネルギー保存則」が見事に合致していてお気に入りなのだが、まあ今はいい。
問題は水属性である。私の知る限り、水属性の魔術師が起こしている現象には、以下の3点が見られる。
・水を発生させる。
・水を操作する。
・(作品によっては氷属性が担当するが)水を凍らせる。

私の言いたいことも3点にまとめられる。
1.水属性、高度すぎだろ
2.水属性魔術師、他の属性も操れそうなんだけど
3.「水」だけ属性としておかしい


ひとつずつ見ていこう。

1.水属性、高度すぎだろ
もう一度水属性魔術師のこなすべき現象を思い出して欲しいのだが、そもそも、水を発生させるのと水を操作するのって、かなり現象として別物だと思う。
少なくとも、発火と発電の距離感、よりは確実に、ある物質の創造とその物質の操作、のほうが離れている気がする。
あるいは創造の部分は水の召喚かもしれないし、大気を冷やして水を精製しているのかもしれない。だがいずれにしても操作とはまるで別ジャンルだ。
何が言いたいかと言うと、最初にやたら丁寧に書いておいた、得意になるために技術を習得する、と言う話なのだが。
炎属性と雷属性の習得すべき技術がある程度離れているんなら、水の発生と水の操作もやっぱり別の技術なんでは?
炎属性は得意だけど雷属性はできません、と言う人とほとんど同じくらいには、水の発生は得意だけど操作は何回やってもできません、と言う人がいてもおかしくないだろう。ならば水の魔術師というやつは、その他の属性を2個習得することと同じハードルを乗り越えた存在、ということになる。
それだけやって、出来る魔法は洪水起こす程度が限界。
素直に他の属性を2つ揃えた方が効率がいいと思うのは私だけか。

2.水属性魔術師、他の属性も操れそうなんだけど
水の創造(または召喚)にしても操作にしても、水に限定する意味がまるでわからない。
もう一度技術の話に戻るが、水属性魔術師は、最低でも次の2つの技術を持っているはずである。
・何もないところから水を発生させることに関わる技術。
・大量の水を自在に遠隔操作することに関わる技術。
これだけのことをやってのける魔術師が、これらの技術を他にも応用できないとは、到底思えない。
発生にしても操作にしても、対象にできるのがなぜH2Oという特定の分子だけなんだ?
H2Oを作成できる人間が、O2やら何やらを作成できないわけがないし、操作のほうはやってることがただのサイコキネシスだ。特定の分子のみに働くサイコキネシスなんて不自然すぎる。
何が言いたいかというと、それだけの技術を持っていれば、炎属性やら風属性やら雷属性の起こす類の現象は余裕でできるだろう、ということである。
そこまでできて、やってることは最大限度が洪水。
ちょっと勿体なすぎるんじゃないか、水属性魔術師よ。

3.「水」だけ属性としておかしい
すごく言いたいことがある。
なぜそこまで、水という単一物質のエキスパートたることにこだわるんだ。
そもそも水は世界に限りなく存在する様々な物質のうちの、ひとつの名称にすぎない。
炎やら雷やら、ある意味で「現象そのもの」を冠する属性と違って、水と言う属性名だけどこかおかしい。
水が属性になるなら、硫黄属性とか、二酸化炭素属性とか、水酸化アルミニウム属性とかがあってもおかしくないはずだ。
実は水属性魔術師、やろうとすればこれらの物質も操れるとか、そんなことは無いよな?
物質属性、とか、それくらいのほうが属性名としては浮いてない気がしてしまうのだが。

これまでの考察をまとめると、水属性魔術師は実はものすごく高度なことをしていて、やろうとすれば大体のことはできて、でも今のところ洪水しか起こしていないということがわかる。
なんかもう、アレだ。きっと水が大好きなんだ。
でなければ、これほどまでに苦労して水魔法を極めることが出来ない世界なんだ、たぶん。
だから水属性魔術師は水にしか興味がなく、水以外を操る気はないんだろう。
……うん、なんか、洪水程度で収まってくれてるくらいでいい気がする。

結論:水属性魔術師は、怒らせると怖い。
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「批判するならお前がやれ」の真実を知ってほしい

「批判するならお前がやれ」は、確かに論点のすり替えである。
この言葉のおかしさは、たとえば「政治家批判するならお前が政治やれ」という言葉を考えてみればわかると思う。
しかし、私はこの言葉を言いたくなる気持ちというのも十分に理解できる。
そこでちょっと、この言葉を正当化することに挑戦してみようと思う。

結論から言えば、「批判するならお前がやれ」という言葉は、「とある物凄く長い反論」を「省略」したものである。
言ってみれば、擁護する側の「横着」なのだが、ネット、特にこの言葉がよく発せられる動画サイトなどではそれほど長い反論をしていられる余裕は無い。
論点のすり替えではない正しい反論は確かにあるのだが、到底それをいえないので、仕方なく使われる代替手段、それが「じゃあお前がやってみろ」という論点のすり替えなのである。しかもこれがあながち単純な論点のすり替えともいえない。

最初に出した政治家の例で考えてみる。
現与党に対し、あるAさんという人物が

「もっと子供手当とか配って、保育園もじゃんじゃん国が補助すればいいのに。それから、公害対策にももっと予算まわして、エコカーにも補助金出してほしい。それと税金高いから今の半分に減らして」

と言ったとしよう。
あなたが反論する立場なら、何と答えようか?

「そんな金があるわけないだろ。税金減らしたら余計予算足りないだろ」

と、言うのが正当な反論である。
では、そう言ったあなたに対して、さらにAさんがこう追撃する。

「そんなのどこかから捻出すればいいじゃない。国会議員と官僚を減らして、残った人も給料減らして、あとどうでもいい道路整備なんか全部やめればいいでしょう」

これはかなり反論が難しい。Aさんの主張はある意味筋が通っている部分も無いではないが、絶対に実現不能なはずだ。これにも正当に反論するなら次のようになるだろうか。

「今の議員や官僚の人数はギリギリではないかもしれないが、それでも省庁を正常に機能さえるだけの必要な人数というのがある。また、決して楽な仕事というわけではないのに給料を下げては、なろうという人がいなくなる。さらに、その法案を通すかどうかを決めるのは他ならぬ国会議員だが、自分の給料を下げることに賛成させるのは簡単ではない。道路整備も定期的にしなければすぐに道路が駄目になるだろう」

この適当な例ですらすごい考えて書いた。さらに正確に反論するためには、客観的なデータも必要になってくるだろう。
それでも、まだ色々と追撃される可能性はある。基本的に擁護に比べて、批判するだけの方が楽なのだ。
もはやこの調子で正当な反論などやってられない。普通の人間はすぐにさじを投げるだろう。そんな時、彼らが言い残す台詞は何か。

「じゃあお前がやれ」

今の例は極端化していて、わかりやすかった。
次はもう少しありがちな例を出してみる。
とある動画サイトにアップロードされた、自作オリジナル曲に対して、
「音量小さいな、もう少し大きくしろ」
という批判がついたとする。
さらに次の曲には、「音量上がってないぞ、なんで改善しないんだ」とか言われたとする。
これ、DTM初心者には本当にあるあるで、作者のほうは大抵の場合、精一杯音量を上げた結果なのだ。
少し専門的な話をすると、デジタル音楽には、「出せる音量の限界」というものが最初から定まっている。インディーズもプロも、動画サイトの曲も、全てその一定の音量以内で作られている。
ではなぜアマとプロの間で明らかに音量の差が感じられるかと言えば、その「最大音量」をどれだけ維持できているか、という違いがあるからだ。
音は波である。一瞬の波の中でも、大きく振動する瞬間と、小さく振動する瞬間がある。これを常に最大に振動するようにすれば音量が大きく感じられる。これを俗に「音圧」などと呼ぶ。音の詰まり具合、といったイメージだ。
この音圧を上げるのはそれなりの専門性を必要とする。各楽器の音を調整し、コンプレッサーというエフェクトで音を均等に押しつぶす作業、リミッターというエフェクトで一定以上の音を強引に打ち切る作業などがあり、それもうまくやらないと音がつぶれまくって音楽が壊れる。
さらには、その「最大音量」を高音域、中音域、低音域にうまく割り振らないと音圧が高くても大きく聞こえないということもあり、イコライジングの技術も必要となる。
ここまでが、少し専門的な話だ。
さて、最初に「音量小さいな」と批判した人物は、この辺の内容を知った上でコメントしたのだろうか。
とてもそうとは思えない。知っているなら「音圧」をいう単語を使いそうなものだし、二回目の動画で上がっていなければ、音圧の上げ方を知らないのだろうと推測するはずだ。
おそらくこの人は、「音量は上げれば上がるもの」と簡単に思っているだろう。
では、あなたがその曲を擁護してあげたい立場になった時、この人の批判には、なんと答えればよいだろう。
「そう簡単には音量は上げられないんだよ」
とでも軽く書こうか。そうしたら一週間後、こんな書き込みがあるとする。
「プロとか有名なボカロ曲はもっと音量大きいんだから上げられるはずだろ、嘘言うな」
さあ、これに対する正当な反論としては、「音圧は簡単には上げられない」ことを論理立てて説明してあげればよい。
しかしそれには最低でも、今私が上でしたような説明を繰り広げないといけない。これを動画の画面いっぱいに書き込む?冗談ではない。
妥当な反論をすることに多大な苦労を感じ取ったとき、普通の人が何と書き込むか。

「1回自分でやってみればわかるよ」

そう、この台詞は、「相手が批判している物事についての基本的な部分をわかっていない時」に発動する。
「お前は何も知らないくせに、偉そうに改善策を語るな。自分で一度やってみれば、その改善策がそれなりに難しいことがわかるだろう。それくらいが判断できる程度に中身を把握してから初めて批判を言え」
という長~いうらみつらみが、この一文に詰まっているのだ。
上の台詞は、だいぶ感情的ではあるが、単純に論点のすり替えとも言いにくい。
いや、本来はちゃんと「その改善策が事実上不可能なこと」を理由とセットで説明して初めて、正当な反論と言えるので、上の台詞はやっぱり論点のすり替えかも知れない。しかし、大概の場合、基本的な内容からわかっていない相手に対してそこまでを説明しようと思うと、ブログの1ページや2ページじゃ済まないレベルになってくる。
それを最も手っ取り早く実感してもらえる方法が、「実際にやらせる」ことなのだ。
「お前がやれ」という擁護をする人の一部は、単に反論をはねつけているのではなく、実際に、「本当にやってみてくれよ頼むから」と思っている。
「やってみてくれたら、簡単に説明できるのに」と。
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誰でも金管楽器の音が出せるようになる方法を教えてみる

とりあえず、前置き。

最近ホルンが吹けるようになりました。
と言っても、音階などまだまだ全然操れず、とりあえず「音が鳴るようになった」レベルです。
普通、ホルンとか吹ける人って、中高で吹奏楽部に所属してた人とかに限られると思います。私は中高では水泳部と軽音楽部、ついでに文芸部にしか所属しておらず、未成年の間はリコーダー以外の管楽器に一切触ったこともありませんでした。
少年とは言えない歳になって初めてホルンを吹き始め、ようやく音が出せるようになって、「音鳴らすだけでなんでこんなに難しいんだ馬鹿野郎!」と、心底思いました。正直諦めかけました。
私の場合はホルン吹きが身近にいて、最初の段階からずっとレクチャーしてもらったのでまだ助かりました。しかし、それでも試行錯誤を繰り返し、何度も心が折れかける程度には苦しみました。
これが、身近に教えてくれる人さえいなければどうでしょう。私は独学だけでホルンを吹けたでしょうか?
「押したら鳴る」ピアノや、「弾けば鳴る」ギターと違って、音を出すことさえ上級者のレクチャーを必要とするという点で金管楽器は大きな制約を背負っています。具体的には、新人の参入が滞るという制約です。
そりゃ、上を目指そうという方はどっかの教室にでも通うべきでしょうが、ちょっと軽く楽しみたい、という方が気楽に手を出せないというのは、「音を楽しむ」ことを本分とする「楽器というジャンル」としてはどうなのと言いたい気分になります(ヴァイオリンなどにも言いたいですが……触れないでおきます)。
そこで、とりあえずどんな人でも「一人で無料で」音くらいは出せる世の中にしてやろうと決意を抱き、こんなページを作っちゃいました。

前置き終了。


このページを見れば、誰でも金管楽器の音が出せるようになります!
(注・このやり方は色々とアレなので、慣れるまではなるべく誰もいないところでやったほうが良いと思います。)

①どんなんでもいいから音を出そう!

知ってのとおり、金管楽器は、ただ息を吹き込むだけで音が鳴るようには出来ていません。
ブーッという少し特殊な振動を唇から発生させ、その振動を管に共鳴させることで音を出すしくみです。その振動の出し方がなかなか理解できないのが、大きな壁なのです。

そこでまず、唇から音を出す感覚を掴みましょう。
唇を全力で閉じてください。誰かに上唇と下唇をつままれて全力で引っ張られても、絶対にこじ開けられないというくらいの決意を持って固く引き結んでください。
と言っても、歯の裏に唇を挟んだりとかそこまではしないで下さい。あくまで普通の口の形のまま、唇だけを全力で閉じてください。
できましたか?
できたら今度は、全力で息を吐いてください。口から。
もちろん、唇は引き結んだままです。唇を全身全霊で閉じたまま、それにも優る力で息を押し出してください。いわばあなたの唇と息との戦いです。もうどうなっても構いません。
どっちが勝ったでしょうか。
唇が勝ちそうなら、仕方ありません。ほんの少しだけ、唇の力を弱めてあげてください。あくまで少しだけです。
息が勝ったら、唇のどっかから「ブッ!」だか「プゥ」だか、ひっどい音がして、息が抜けると思います。唾とか飛んだかもしれません。ごめんなさい。
ええ。このひっどい音を出すことが、目的です。

色々と語弊しかありませんが、あえて言ってしまいます。
この「ブッ!」を持続することが、金管楽器の音を鳴らす方法です。

試しに今の音を3秒ぐらい鳴らし続けましょう。「ブピィーッ」とか鳴りますね。聞くに堪えませんね。唾とか汚いですね。
もちろん演奏者はこんなひどいことしていません。ちゃんとした音を出すには、この「ブピィーッ」を綺麗な振動に整えていく必要があるのです。

とりあえずは今の音を唇の中央で出しましょう。
唇のどこかから息が抜けたということは、そこだけ閉める力が(他と比べて)弱かったということです。それを意識して、息の逃げ道を中央に行くように唇の力を調整します。
まだ音は汚いです。でも、正しい音を出す準備はできました。
ここまでのやり方を忘れてしまった場合は、もう一度「ブッ!」からやり直してみてください。

②唇を振動させよう!

小学生の頃、「俺の唇4枚に増えた~」とか、やったことはないでしょうか。
もしくは、馬鹿な男子が教室でやっているのを見たことは無いでしょうか。
あの、唇を外側に折り曲げて、二つ折りになった唇が上下あわせて擬似的に4枚に見えるやつです。
あれが出来る方は、やってみてください。
出来ない場合は、唇を固く結んで、内側だけを搾り出すように前に突き出してみてください。それでもできなければ、唇を固く結んだまま、舌を強引に外に出して、そのまま引っ込めてください。そして鏡を見てください。「俺の唇4枚に増えた~」って言いましょう。言ったら戻りますが。
ここまでは出来ましたか。
ではその状態で、先ほどやった、「ブピィーッ」を鳴らしてみてください。もちろん唇の中央からです。
どうでしょうか。先ほどのように音が鳴れば、少し唇が振動する感覚があるはずです。
音が鳴らなければ唇の力か息の力が弱いです。最初の唇VS息の感覚で、どんなに汚い音でもとにかく出す意識を思い出してください。
唇が振動する感覚、わかりましたか?
わかった方も、わからない方も、次へ進みましょう。

次は、さっきと同じ「唇4枚状態」で、少し音の鳴らし方を変えます。
今までは肺や口の中全体を使って息を出していたと思いますが、一旦それらを封印しましょう。
ではどこを使っていいかと言うと、「前歯と前唇の間の空間」です。
「唇4枚状態」で、この「前歯と前唇の間の空間」に空気を溜めます。
その状態から、肺を使わずにゆっくりこの空気を押し出し、さっきの「ブピィーッ」を鳴らします。
どうでしょうか。さっきよりもよりはっきりと、唇が振動したのがわかるはずです。
わからない方は、唇中央の「息の逃げ道」をかなり狭めに作り(点のような感じでいいです)、もっとゆっくりと息を押し出してください。相当ゆっくりと押し出すと、「ブッ、ブッ、ブッ、ブッ」と断続的に音が鳴ります。これを早くしていきます。ブッブッブッブッ、ブブブブブ。これが振動の感覚です。
この感覚を絶対に忘れないで下さい。

再び、肺と口全体の力の封印を解放します。
もう一度さっきのように音を鳴らしてください。この時、先ほど覚えた「振動の感覚」を意識し、ブブブブブと唇が震えるようにしてみてください。
難しいと感じたら、「息の逃げ道」を狭く、息をゆっくり。ブッブッブッブッ、ブブブブブ。これを徐々に早く、強くしていきます。
もはや最初の頃のような、汚い音は出ていないはずです。「ブルルルルル……」という、細く長い振動が唇を支配しているはずです。

③広い振動を出そう!

今のままでは口がものすごくしんどいですね。たぶん顎が死ぬほどだるいと思います。
それに、このような「か細い振動」ではまだまだ駄目です。
この振動を横に広げていきます。
まずは、さっきまでのように唇の中央から細い振動を出し、それを保ってください。
3秒くらい保ったら、唇の力を一気に抜きます。この3秒保つのが大事です。
「ブルルルプヒョォ……」となって、振動が止まります。しかし、注目して欲しいのはこの振動の止まり際!この止まり際に、一瞬広く大きな振動が出たら成功です。
出なければ、こればっかりは運ゲーです。唇の感じを微妙に変えながら何度も繰りかえしていればそのうち出ます。(必ず最初の振動を3秒保つのを忘れないで下さい。)コツとしては、力を抜く瞬間に口を「い」の形に横長くし、突き出していた唇を正常状態に引っ込めるようにすると出やすいです。
広く大きな振動になる感覚が発見できたら、その発見した感覚を忘れないように何度も繰り返してください。
何度も繰り返しながら、余裕があればその広い振動をちょっとでも長く保てるよう意識してみてください。
ここの感覚が一番難しいです。途中からわけがわからなくなってきます。無理をせず、最初の細い振動に戻しながら、場合によってはもっと前の段階まで戻りながら、ゆっくり感覚を育てていってください。

感覚が自分の中で定着したと感じたら、その広い振動を長時間持続してみましょう。
最初の内は歯を食いしばりながらやると、うまくいく気がします。
(注:ここは経験者によると、オススメできない方法だそうです。
歯を食いしばると口の中が狭くなり、演奏に支障が出るので、そのような癖を最初から身に着けるのはよくない、とのこと。
しかし、私としては、歯を食いしばる方法が最も感覚を掴みやすいと思うので、できるだけ歯を使わずにやってみて、どうしても無理なら歯を使って感覚を身につけ、その後で必ずその癖を抜いてください。)

できたら、最初の細い振動から広い振動へ、そして、広い振動から細い振動へと、交互に変化させるのもやってみてください。
そこまで出来たら、振動の出し方はほぼ完成と言えるでしょう。

④楽器を鳴らそう!

やっと、楽器に入ります。
金管楽器にはマウスピースというものがあります。まあ言ってしまえば口を当てる部分で、取り外しができます。
楽器の音を出すには、そのマウスピースを口に当てながら、振動を出さねばなりません。難問です。
というわけで最初は、指を唇に当てて、この「マウスピースが当たっている状態」を再現します。
使うのは人差し指と中指です。この2本の間を広めに開き、唇の両端に軽く触れます。
この状態で、唇の中央から「細い振動」を出しましょう。
たぶん、指のある位置が中央からは程遠いため、振動にはほとんど影響しないでしょう。
この指の感覚を少しずつ狭くします。
楽器にもよりますが、トランペットやホルンなら、マウスピースの内径は16~17mmになります。まあ相当狭くする必要があります。ただ、最初に練習した「点のような狭い振動」なら、指の間がどんなに狭かろうと影響はしないはずです。
この状態で狭い振動を出せるようになったら、徐々に広い振動に移行します。
最初は無理しなくていいですので、ちょっとでも前より広い振動を出せるようになったら、それをひたすら定着させます。そしてまたちょっと広くします。その繰り返しです。
この時点で、マウスピースを当てても出せるようになっているでしょう。
あとは楽器に実際に触れ、音を出すだけです。レッツトライ。


どうでしたか。
これで音を出せなかったら、ごめんなさい。
あと、これで周りの人から変な目で見られたら、もっとごめんなさい。
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無能な働き者は殺すべし?

いまや削除されてしまったが、以前のWikipediaにはこんなことが書かれていた。

軍人は4つに分類される。

有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。
有能な働き者。これは参謀に向いている。
無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。
無能な働き者。これは処刑するしかない。

(ハンス・フォン・ゼークト - Wikipedia 2014年1月12日版)


ネットでは良くゼークト将軍の言葉とされているが、実際にはクルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトがオリジナルであるとか色々言われている。
まあそこに立ち入る気はない。

もちろん上記の言葉には解釈が必要だ。
曰く、

有能な怠け者は上手な怠け方を知っている。自分の代わりに部下を働かせる術に長け、また部隊の資源やリスクを最小限に抑えるアイデアを持っている。

有能な働き者は自ら率先して働き、実行する行動力を持っている。それを確実に成功させる能力も持ち合わせている。

無能な怠け者は自分からは動かないが、言われたことだけをこなし余計な動きをしない。このタイプは数も多いので、作戦を淡々と動かす歯車として優秀である。

無能な働き者は、自ら率先して働く割に失敗する。言われた以上に工夫し成果を挙げようとして、実際には作戦をかき回して台無しにする。

だいたい上記のような説明がなされることが多い。

でもこれ、そのまま受け取っていいんだろうか?
何か違和感がないだろうか?
私が思うに、ここで説明されている「怠け者」「働き者」は、現代人の感覚でいう「怠け者」「働き者」とは相当ズレがある気がする。

普通に受け取ると、「怠け者」とは働かない者のことだ。「働き者」の対比だから特にそう感じ取れる。しかし、ここで説明される「無能な怠け者」像は、「言われた仕事は正確にこなす」ことが前提となっている。これは「働き者」の枠には入らないんだろうか?
一方で「無能な働き者」は「必要以上のことをする者」というひどい扱いだ。これは働き者というよりただの「余計なことしい」とか「目立ちたがり」と言うべきで、そりゃ処刑されても仕方がない。
ならば、「怠け者」を「必要以上のことをしない者」、「働き者」を「必要以上のことをする者」と置き換えれば成立するのだろうか?
駄目だ。今度は「有能な側」がおかしくなる。ここで説明される「有能な怠け者」像は、明らかに部隊を省エネ化するための独自の工夫を求められているし、「有能な働き者」像はそこまでの努力を求められていない。
そうか。わかった。

「怠け者」とは、「労働はするが、それに苦労を感じる者」
「働き者」とは、「労働に苦労を感じない者(喜びを感じる者)」


こう考えればいいのか。
それなら意味は通る。
一時期この言葉を元に「日本人は全員処刑される」と言っていた人もいたけど、この捉え方ならそう多くの日本人が「働き者」に分類されることもないだろう。
まあどちらにせよ、「無能は大人しくしていろ」というのが真理なんだろうけど。



ところでこの記事を書いている間に、元ネタとは全然関係ないパロディを思いついた。

有能な文系。これは政治家に向いている。
有能な理系。これは研究者に向いている。
無能な文系。これは課長または係長に向いている、もしくは平社員。
無能な理系。これは処刑するしかない。


いや、文系が怠け者で理系が働き者とか言う意図は一切ないから勘違いしないでね。ただこう変えればぴったりなんじゃないかって思っただけだから。
……というか、無能な理系になる可能性が十分な私にとっては、全然洒落になっていなかった。
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個人の強烈な主観を読ませてくれるブログが読みたい

今回の記事は、以前内輪のSNSで書いていたものの移植増量版。
そのまま載せるとえらく短いので、ほとんど新しく書き直したくらいに増量してます。

個人の強烈な主観を読ませてくれるブログが読みたい。
特に私のお気に入りは、「不倒城」というブログである。
ブログテーマは、レトロゲーム。その看板に偽りはなく、頻繁にレトロゲーム(たまに最新ゲーム)の記事を書いて、レトロゲーの良さを布教しておられる。
それも大変興味深く読ませていただいているのだが、その中で3回に1回くらい、政治や人生のこと、ブログ論や文章論、子育て論などについて、多種多様なテーマで主張を展開される記事がある。
その記事がまた、非常に面白い。
主張は非常に個人的だったり、主観に則っていたりはする。しかし、そのような部分については必ず「個人的な感覚だが」「私の観測範囲では」「どうでもいい話である」などと断りが入っており、「この人は自分の主観的な部分を客観視できている」と安心して読むことが出来る。
そうでありながら、主張の流れとしてはいつも論理的で一貫しており、ひとつの論説文のようにしっかりと読み応えのある文章である。
しかも、題材のとり方も常に独創的で面白い。

ラピュタには何故自爆コマンドが用意されているのか
「彼女欲しい」という欲求はプロジェクトとして考えると破綻している
「三匹の子豚」のお母さん豚は、何故「力を合わせて家を建てなさい」と言わなかったのか
セックス技術ミーティングの必要性について徹底的に主張してみる。
何故「おいつかれた」ではなく「まわりこまれた」なのか

など、ついクリックして読んでみたくなるタイトルが満載だ。
一方で、かなりためになる主張もある。

ひとり語りは面白いのかどうか、について。
「文章力」とかいう正体不明の存在を身に付けようとする前に
「相手に対する興味」を欠いたまま、「コミュ力」とかいうものを身に着けようとしてもあんまり意味ないんじゃないだろうか
安易な「気付き」には身構えた方がいいよなあ、という話
人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。
人格と創作物を切り離せない人は、SNSで好きな作者さんをフォローしない方がいいかも知れません
学生さんは、何故「自分たちがやってきた学問」について誇れないのだろうか
読書感想文「なんか」と言われてしまう現況は、非常にもったいないと思うんだ
「分かりやすい悪役がいる話には一見で飛びつかない」ルールを皆様導入するべき

この辺などは、もう何回読み返したかわからない。名文である。
これらが名文である理由は、基本的に私の感覚とあっているからだと思う。極端に言えば、同意できるからすなわち名文と言っているのであって、これほど乱暴な褒め方もない。でも、ある意味それが真理なんじゃないか。
「なんか自分の中にあるモヤモヤしたもの」を「初めてすっきりと言語化してもらった」と感じる時、我々はそれを名文だと思うのだろう。
だとすれば、皆が言っているようなことや、誰が聞いても納得できるようなことをどれだけ書いたって、それが誰かにとっての名文になることは少ないはずだ。

「名文」を書くための絶対条件として、
 強烈に個人的な意見を書いている
ことは、外すことができない。
もちろん、それが誰にとっても名文であるはずはない。しかし、少なくとも誰か1人にとっての名文になりうる確率は、非常に高いと思う。
そう考えれば、毎回コメント欄で正反対の反論が出て喧嘩しているくらいがちょうどいい。

私は個人的な主張の書かれたブログというものをもっと読みたい。
そう常日頃から思っている。
今回、何かの巡り会わせで、自分自身がブログを書くこととなった。
ならば、それを自分が書くしかないだろう。
そう誓って始めた次第ではあるが、いまだに読書感想文しか書けていない。
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