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【微ネタバレ】「カラフル」の読書感想

カラフル (文春文庫)
カラフル (文春文庫)
posted with amazlet at 15.10.30
森 絵都
文藝春秋
売り上げランキング: 1,501


どんなジャンルの物語にも、「謎解き」は挿入できる。
私が最初にそのことを実感した小説は、ライトノベル「灼眼のシャナ」第一巻であった。しかしその効果までもをはっきりと思い知らされたのは、まさにこの「カラフル」だったと言っていい。

この作品は決してミステリではないし、分類するとすれば、謎解きというジャンルにはなんら関係の無い児童文学や青春小説の類に入ると思われる。
ただし、この物語にはあるひとつの「解き明かされるべき謎」が存在する。
その謎は最初からずっとあるが、序盤はその重要度が低く、普通に物語を読んでいくぶんには置いておいてもよい謎だ。
しかし読み進めるにつれて、物語の構造の中でその謎の重要度が増していく。

この物語を理解するためには、その謎を必ず解き明かさなければならない。
これがとても重要なことなのだ。
ただ、この「解き明かす」と言うのには、もちろん「物語の中での種明かしによって解答を知る」というのも入る。必ずしも「完全に自力で」謎解きをする必要は無い。
ヒントというか、230ページで核心に近い決定的な台詞は出てくるし、さらに234ページまで読めば答えそのものが明かされる。
それも含めて、とにかくこの謎が解けた瞬間、物語は一気に変貌する。
その瞬間までの物語も、ちゃんとひとつの物語として成立しているし、それはそれで非常に面白かった。
しかし、それは「カラフル」の本当の物語ではない。
では234ページからの残りの、わずか10ページちょっとが本当の「カラフル」かというと、そういうわけでもない。

234ページまでの全ての物語が、謎を解き明かした状態ではじめて、本当の「カラフル」の物語となるのだ。

当然、初読ではその状態にならないので、それはそれで非常に読み応えのある、表面上の物語を読む。
そして、謎を解き明かした瞬間の、その一秒にも満たない間に、それまでに読み進めてきた記憶が、過去へとさかのぼって「本当のカラフルを読んだ記憶」へと変化する。

私はというと、230ページの「核心的なヒント」によって、真相を知った。それはちょうど主人公が謎を解いた瞬間でもある。つまり、私は主人公と全く同時にこの物語を理解したわけだ。
それはまるで、何かが爆発したかのような体験だった。
こんなことがあるのか、と思った。
今までに小説を読んで、ワクワクしたこと、ドキドキしたこと、楽しいこと悲しいこと、そういう感情を与えられたことはいくらでもあった。
しかし、こういったタイプの、「快感」と呼べる感情を読書から与えられたのは、この時が初めてだったと思う。
まさにこの瞬間、私は「物語を解き明かす快感」の虜になってしまったのだ。

物語と「謎解き」の親和性は、推理小説の中にしかないと思っていた。
しかし、この本を読んで知った。どんなジャンルにも、謎解きは入る余地がある。いやむしろ、入るべきであると。
「刹那の間に物語の全てを読む」という体験は、「謎」を解くことによってしか生まれない。
もちろん、単にミニゲーム的に謎解きがあるのとは意味が違う。「カラフル」では、主軸となっている物語構造の中で「謎」の占める重要度が極めて大きく、物語と謎が相互に密着していることが何より重要だったのだ。

私の読書傾向や、物語に対する向き合い方はこの時から大きく偏ってしまった。
この体験の後、米澤穂信を読み、アガサ・クリスティを読み、西澤保彦を読み……とどんどんミステリ方面へ傾倒していくことになるのだが、全てはこのときの体験、「物語の謎を解き明かすことで、全体が一変する」という快感を再び得ようという動機があると思われる。
しかし良く考えれば、別にミステリを読む必要は無いのだ。
ミステリでは、「謎」そのものが主役であり、「謎を解くこと」こそが物語の主軸となってしまう。
それでは、「物語と密着した謎」の存在によって物語そのものを反転させるという効果はむしろ得られない。
「カラフル」のように、謎を主軸としないジャンルにこそ、このような体験が潜んでいるのかもしれない。

ところで、この感想を「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の直後に書いたのは意味がある。
「カラフル」によって、私は謎を解くことの快感を知り、物語に対する意識が偏ってしまった。
それから少し極端になりすぎてしまったのだろう。私はとにかく「種明かしより前に物語を暴いてしまおう」という意識で読書に望む体勢になっていた。
しかし前回書いたように、「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」では読む前から謎が解けている状態であった。つまり、その時の私の意識からすれば、物語を読み、謎を解くことによって得られる感動は既に吸い出されてしまったことになる。
にもかかわらず、私はその物語で感動させられた。
「謎解きの感動」を教えてくれた「カラフル」に、「謎解きに頼らない感動」を取り戻してくれた「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」。この二冊は間違いなく、私の読書経験を語る上で外せない二冊なのだ。
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【超ネタバレ】「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の読書感想

ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)
七月 隆文
宝島社 (2014-08-06)
売り上げランキング: 253


読書感想を始めたら、まず初めにこの本のレビューをしようと決めていた。

最初に断っておきたいのだが、私は本を読んで良い印象を抱くこともあるし、悪い印象を抱くこともある。
そしてこの場では、特にその「良い印象」だけを丁寧に摘み上げて「感想」にしようと言うつもりはない。きっと、批判的な意見もガンガン言ってしまうと思う。
悪いと感じた本に対し、妙にバランスを取る為に一部を褒めちぎったりもしないと思う。まぁそんな悪い印象を垂れ流すだけの感想なら最初から書かないだろうが。

その上で、なのだが。
私はこの物語に対し、正と負の両方の感想を持っている。
おかげで自分の中での評価をどうしていいかずっと悩み続けている。こんなことは本当に珍しい。少なくとも自分の読書体験の中では初めてのことだった。
この言語化しにくい感覚をどうにか言葉にまとめてみたいと思い、私は読書感想を始めることに決めた。つまりある意味ではこのブログ自体、この本のために開設したと言っても間違いではない。

ネガティブな印象の最大の原因として、私には、(いや私だけではないと思うが)この作品の構造というか、いわゆる「オチ」が序盤の段階でほぼ読めてしまったということがある。
もっといえば、実は本を手に取った段階で7割方わかってしまった。その原因はもちろん、あの露骨なタイトル、それに帯である。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」。このフレーズの通りの内容をまともに成り立たせようと思えば、当然2人の時間軸が逆行していないといけない。この時点でSFか、ファンタジーか、何かその辺の要素が入っているなと睨むことになる。
さて、視点をほんの少し移動させると、そこには帯があり、でかでかとこんなことが書いてある。

「彼女の秘密を知ったとき、きっと最初から読み返したくなる」
「泣ける」


もう、これで話の大枠を掴むことができるが、さらに裏返して、帯の裏側を読んでみる。

「序盤のラブラブぶりがあるからこそ、終盤の切なさが際立ちます。彼女が事あるごとに涙を流す理由を知ったときは胸が締め付けられました。出会った日の、愛美の別れの言葉を読み返すと泣けるな~」


あれっ?もうこれ、物語のほぼ全てを表してないか?
読む前から、そう思ってしまった。
この、読書メーターから引用したという感想。ネタバレを避けようという努力は見て取れるが、タイトルと、帯のほかの部分をあわせて考えれば誰にでもわかってしまう流れだ。

そこで、私は本を置くこともできた。

しかし、なぜかそれはできなかった。帯に書かれている「きっと最初から読み返したくなる」というキャッチフレーズ。まさに私はその、「最初から読み返したい」状態になってしまった。まだ一度目を読んですらいないのに。
ヒロインの愛美という女の子が未来から過去へと時間を逆にたどる体質を持っていて、主人公と恋をし、同じ時間を生きられないことに涙しながらも、自分のことを知らなくなっていく主人公の前で健気に笑ってみせる、そんな話だということはタイトルと帯でバレバレだったのに。
ずるいじゃないか。そんな話、読まずにはいられないじゃないか。
半ば強制されたような気分で、私はとりあえず少しだけ読んでみようと立ち読みを始めた。

32ページ目まで読み進めて、

「また明日ねっ!」


本屋で立ち読みしたまま、泣くかと思った。
これはまずいと思った。ゾンビみたいにその本をカウンターまで運んだ。気付けば買っていた。

そして近くの喫茶店で、一気に最後まで読んだ。
最後の扉を撫でるシーンで、涙があふれてきて、少しだけ本当に泣いた。
この本を読んだ感想は、「ずるい」だ。後にも先にもそれしかない。
突っ込もうとすれば、突っ込める部分はいくらでもある。時間ものには必須とも言える、タイムパラドックスの処理がほぼ為されていない、とか。異世界関係の細かい背景や、異世界交流の設定が雑すぎる、とか。あとこれは非常に個人的な好みだが、私の嫌いな「ご当地ネタ」が満載なところとか。
設定自体も、特に斬新だとか、誰にも思いつけない発想だということでもない。文章力も語彙力もプロ程度にはきっと凄いけれど、平均的なプロ作家の域を超えているわけではない。
でもこれは、そういう話ではないんだと思った。
背景とか設定とか文章とか、そういうものを飛び越えて直接感動させてきた。暴力的に感動を与えられた。
だからこそ私は、この作品を「ずるい」と思う。
私も作家になりたいと思うような、ワナビの端くれみたいな心がある。
ではあなたのなりたい理想の作家はと聞かれると、たぶん米澤穂信さんとか河野裕さんを挙げると思うし、そこに七月隆文さんは今のところ入っていない。
でも、理想の作品はと聞かれれば……全く悔しいことだが、おそらくこの作品を挙げることだろう。
ジャンルとか好みとかネタバレとかそういうものを全て飛び越えて読者に感動をもたらす。こんな作品が書けたら、と夢見てしまう。

この先、この本を読み返したい気持ちになるかどうかは今のところわからない。
でも私の読書体験の中で、この作品は決して忘れられない一冊になったことは確かだ。
そういう意味で、私はこの本の評価をどうにも決められないでいる。
いや本当は、認めたくないだけかもしれない。どうしても星をつけるとすれば、5つしか付けようが無いのだから。オチまでわかっていたのになおその評価をつけざるを得ないというその事実がどうしようもなく悔しくて、いつまでも認められないだけかもしれない。
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ブログ開設にあたって

テストも兼ねた初投稿。

とりあえずこのブログでやりたいことをあげていこうかと思う。
元々、内輪専用のSNSで適当にいいたいことを書き散らしている感じがあったので、そういう内容の中でもっと色んな方に見せていきたいと思うようなことがあれば、こちらに上げていきたい。
ただ、私の書く文章はどうもアクが強いというか、理想主義的な無茶な主張を強い語調で断定するというような特徴があるので、そういうのが苦手な人には辛いと思う。いや、辛くない人はたぶんいないだろう。
じゃあなんで書くんだって話になるので、これに関しては本当に、真剣に考えている。やっぱり柔らかく当たり障りの無い感じで書くべきかなぁとも。でもそれじゃ楽しくないし。

それ以外に重要なこととして、予定では読書感想文をやることになっている。
そもそも読書感想を書くためのサービスで気に入るものが余りなかったので、その代替としてブログを始めようと思い立った経緯がある。
こちらはなるべく定期的に書き、いいペースでUPしたい。
しかし、何事も全く続かない性分なので、これだって定かではない。

それから学問。特に数学に関しては自分の専門でもあり、またアルバイトで中高生に教えていることもあり、何か一般化して役立てられそうなことがあればどんどん出していきたい。
ただ、それはこういうブログという場では向かないかもしれない。ダメそうな感じがしたら、それは潔く諦め、何か別の場を借りて発表することにする。

最後に、自分の発表の場として。
私はいちおうボカロP(名乗るだけなら、ボカロ曲を作ってさえいればボカロPになれるよね)だったり、Web小説書いたり(これも、なろうでちょびっとだけ投稿しただけ)なんかしてるもんだから、その発表の機会としてここがちょうど良さそうなら使う。
良さそうでなければ、使わない。

あと、いちおう説明しとかなきゃいけない。敬語に関して。
こういう場では敬語を使うのが自然だとは思うし、実際この記事も最初は敬語で書き始めていたのを全部書き直している。
なぜかと言うと、こういう皆さんに語りかえるようなタイプの記事ならいいのだが、これから私の書く予定の記事はどれもこれもアクの強い主張をひたすら垂れ流すような感じになるはずで、それを敬語で書いてしまうとなんだか上から馬鹿にしているような印象になってしまう。
というより、私自身そういう主張を書く時はこういう敬語なし断定調のスタイルが性に合っている。
できればそのスタイルは崩したくないので、最初の記事から慣らしていくべきかと思ってこんな感じになった。(誰も読むことはないとは思うけれど)
次にこのタイプの記事を書くときに、どういうスタイルを取るかはまたその時に悩むつもり。
ただ、コメント欄だけは1対1に近い対話の場なので、ちゃんと敬語を使うよ。まあ見知らぬ人がコメントしてくれるなんて奇跡がいつか起きたらの話だが。
そうなるようにちゃんと書いていかないとなぁ。
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